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「ゆれる」 西川美和監督 [君にMOVIEを!]

本当に映画に興味がいかなくて。
ビデオ屋にも滅多に行かないが、選挙に行った後の時間をゆっくり過ごしたかったので。

久しぶりに、少し頭を回転させたような。
というより、「この映画は裏切らない」という直感が働いて。


「ゆれる」 西川美和監督

その映画のタイトルの如く、感情の「ゆれ」のさざ波。
「吊橋での偶然」から始まる「ゆれる」物語には、狂いだすものは無く。
予め、存在していたものの答えあわせのような。そんな心地。

歯車は狂ったのではなく。
最初から無かったものだったのですね。

問題用紙と解答用紙。
幾つかの定義と幾つかの答えを明確にしながら、物語が転がる。

僕も容易に想像出来る、平凡と言えばそれまでの、「型にはまった田舎の長男」の描写は、
優しく、それでいて実直なまでの姿をリアルに表現していた。
田舎のガソリンスタンドの風景など、予測もつかない紆余曲折も無く、
10年先も、20年先も。その場所にあるだろうという、当たり前感。

そこに存在する人間もまた、当たり前に繰り返される日常に「?」を感じながらも、進む時間の針。

しかしながら、吊橋の偶然から、時間軸は揺れ始める。
全ての感情が揺れ動き。
吊橋の不安定な様相の話かと、それは大きな間違いだったと。

途中が、揺れているような錯覚をするのは、脚本の素晴らしさ以上に存在する
香川照之の演技は圧巻の極み。

弟を演じるオダギリジョーもまた、その香川照之に牽引され、
時に並ぶ末の感情の闘争を繰り広げるわけで。

兄が思う「自分とはまったく違う」という嫉妬にも似た、羨望の感情。

しかし、「初めから疑って、最後まで信じることが無い男」にとっては
周りが思う自由は、さほど自由ではなく。
むしろ、それが優雅に見えようとも、自分の本質であるものを殺している以上、
東京での栄華も、それは蜃気楼にしかすぎず。

それは自分でありながらも、違う自分が行う「作業」のようなものにも似て、
感情の通わないものが、間違いなくそこにはあるわけで。

弟は、兄との時間の交錯の中で、
都会に塗れた気付かないでいた感情の真相に気付いたりだとか。
自分は、何も変わってないはずなのに、変わったかことを見抜かれたこと。
また受け入れ難い本質を射抜かれたこと。

時間の隙間には、映画の中には存在しない元々の兄弟の空間のような
そんな空気まで感じれるのは、本当に素晴らしい。
言葉の節々に転がる幼き時分から続く、兄弟の足跡。

兄がどこまで自分の感情を、完璧な形で言葉にしたのか?
どこかに嘘があって、どこかに優しさがあるのではないか?とか、
これがどの感情から来る言葉なのか?だとか。

しかしながら、何が正しくて、何が間違ってるかというものではなく、
何があのようなラストシーンを迎える感情になったわけではなく。

裁判というフィルターの中で、出演者全ての感情が揺れ動いてるように見えるが。
実際の答えはそこには無いと思う。

裁判というフィルターを使うことで稀な話にはなっていたが。
ありふれた関係の交錯する中で、吊橋で起こったこと。
幼き時分の兄の優しさと、今の優しさ、そして記憶と現実が交錯する瞬間の慟哭にも似た感情。
様々な伏線の果て。

あのラストシーンは美しい。

「揺れてる」と思ったのは、実は錯覚で。
あの美しいラストシーンで、理解する僕の感想は、
この映画にはどこの歪みや曲線は無く。

実は、本管は同じ場所に立ちながら、
映像を見た時の、翻弄だとか葛藤だとか焦燥だとかの「ゆれ」に対して、
全てが揺れていると錯覚すること。

初めから、何も変わっていない兄弟の物語。
互いの感情は揺れて芽生えたものではなく、最初から存在していた感情なのではないかと。
つまりは最初から揺れは存在していなく。
たとえ、吊橋の偶然が無くても、いつか必ずどこかで交錯する兄弟同士の感情。

最初から理解していた兄と、見失っていた弟の感情の欄干。
風のざわめきなど物ともしない「揺れない」吊橋があっただけのこと。

この映画、揺れる危うさの吊橋というよりは、
受け手の気の緩みが何か大切な言葉を、空気を落としてしまうのではないかという危うさ。

この映画を渡るには、緊張感がいるということ。


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「血と骨」 崔 洋一監督 [君にMOVIEを!]

「ゆれる」がきっと頭を使うだろうから、
もう1本は、何も考えずただただ圧倒的な空気に呑まれようと。

寺島進か、浅野忠信か、北野武でふらふらしてたら、旧作に「血と骨」を見つけ。
これにしようと意を決する。

「血と骨」 崔 洋一監督

予告編の印象と違い、猛烈な暴力や強烈なインパクトというよりは、
北野武演じる金俊平「怪物」の人生紀になるわけですが。

取り巻く家族の翻弄の方が、ドラマティックであの短時間で描写しきれるのが
また圧巻だとそう感じる。
最初からのキャストを最後まで丁寧に回しながら。
あの人は何処に行ったんだろう?とかの余地なく丁寧なつくり。

しかしながら、あれだけ暴力を尽くしても、人を殺めないギリギリの生殺し。
(実際は、殺めるわけだが・・・・)

もう少し猛烈でも良かったのではないかと。
思想の読みきれない怪物の動向に、突然出てくる特撮の怪獣のような空気すら感じる。
「息子」にこだわり、その「息子」をカネのように自分の言う通りに動かし、
それでいて、自分の体の一部のように扱いたかった男の末路もまた、一貫したもので。

そこには、妻だとか、娘だとか。
女性を人間として見ず、意に帰さない狂気というよりは、自己中心的な世界観の翻弄。

高利貸しのシーンもあまり多くの人間を介入させず、物語は進み。
非常に良く出来た物語の展開に思う。

時代背景もここしかないだろうという、ピンポイント。
暴力とセックスの板ばさみだが、
欲する欲望もまた「血と骨」たる息子を探すものだけ。
正雄(長男)には、「だから女が育てると・・・・」と言ったニュアンスで一蹴。

ただ、もう少しの憎悪ともう少しの圧迫感が欲しかった。
それは北野武の強烈が、度を越してなく、既存なものを演じてるように見えた。
笑顔で人を撃つような狂気なキタノブルーの持ち主が他人の映画で
泳ぐ感覚にあるんだろうな。

こう考えると、北野武は、北野武が輝く最高の瞬間を知ってるからこそ、
自らの映画で自らを使い、猛々しくそして雄雄しく美しく魅せることが出来るんだろうけど。
ただ、北野武以上に、金俊平を演じれる男はいない。

映像の中に、ただ北野武が座ってるだけで、たぎる虎を見ている気分。
銃器が存在しなかった分、その拳に感じる狂気は充分に感じれる。

笑顔は1つもない。
笑わない男の物語。


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【赤塚不二夫編】足立正生 「幽閉者」 [君にMOVIEを!]

 

【スタジオボイス 創刊30周年記念特大号 2007年3月号】に寄せて。

【 タモリ編 】

【赤塚不二夫編】
昔にも幾つか記事を書いたけど、とにかく赤塚不二夫が好きなのです。
今は病に伏し、言葉を発せない容態だと聞きます。
それでも尚、赤塚不二夫の「馬鹿」への真摯で紳士な態度には心落します。

もう赤塚不二夫は好きすぎて、言葉への形容のしようが無いんです。

なんだろうな。
頭の良い人間は、おおよそ凡人が思いもつかないようなことをします。
でも、無知じゃないんです。
真剣に考えて、わからないから実行するんであって、そこに「度胸」とか「勢い」とかないんです。
馬鹿の科学。

実に原理的で数学的に練りこまれた馬鹿というのは、
世の中のために研究する科学者や研究者となんら変わらないと思います。

真摯で真剣な馬鹿は、レベルが違うのです。
大人の馬鹿なんだから、本気です。

そんな次元の違う馬鹿なんだから、お金だって沢山貰えば良い。
貰って、使い方も「みみっちく」あって欲しくない。
こんな風に、強引に馬鹿に使って欲しい
そんな絵空ごとをやってのける理想の男こそ、赤塚不二夫だったんです。

偉大なる馬鹿。
唯一無二な男です。絶対に。漫画よりマンガな男なわけですから。

そんな赤塚不二夫と若松孝ニの対談の再録。(1989)
ステキというか、それもまた無茶苦茶なエピソードでした。
男という馬鹿な生き物は、やっぱりこういう話にはグラーっと来るものです。

この対談から出てくる男の名前が、足立正生
9年前の対談から、現在。

なんの気無しに調べると。
この人は、日本に戻り35年ぶりの映画を撮ったことを知った。それも封切したばかり。
期せずして、何かを拾った気がした。
これは絶対にめぐり合わせなような気もしてるし。

「幽閉者」

いつも勉強しなくてはと思う、「日本赤軍」の話。
僕的には思想の複雑さから、未だにきちんと理解しきれていない日本史の事象。
その答えも、この幽閉者の映画の扉を開くと待っているのかもしれません。

いずれにせよ、赤塚不二夫から開いていく扉は、やはり興味深いもので。
中途半端だったり、自分にとってなんの役にも立たないオリコンのヒットチャートとは違って、
自分の人生の血となり肉になるもののような、瞬閃を感じます。

それは赤塚不二夫自身が、やはり人としての懐深く、そういう人生を歩んだんだろうなと。
そして、「間違いない」と自分が信じてるからこそ、感じることなんだと想います。
純粋な憧れ。

いずれにせよ、「幽閉者」と「タコシェ」には足を運ぼうと思います・・・・・。


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「誰も知らない」 是枝裕和監督 [君にMOVIEを!]

最近は少し大人になった柳楽優弥。

世界の絶賛を目の当たりにしてはいましたが、久しぶりに美しい映画を観ました。
そんな心地です。
今まで見なかったのは、映画の2時間が結局惜しくなってしまう衝動が残るから。
そんなこともあり、DVDすら観ない日々・・・・・。

でも、ただただ美しかったのは。
柳楽優弥という、赤く美しい血の通った軸を通して、物語が生まれ。
決して、おざなりにせずに物語が綺麗に円を描く。
基点と終点が必ず存在していて。
その点は、円となり必ず元通りに。
その円が、幾重にも人間との交錯で重なり合い、美しい球が生まれていくのがわかる。

ラストばかりを気にしてしまう、自分の映画の見方の浅はかさを感じた。
映画のラスト。
優しく繋いだ手を離されたような感覚になったのも、美しい球ができあがった瞬間だったような。
そんな気持にもなる。

母の現金書留。
ここに込められた美しすぎる交錯の果て。
こんなにも綺麗な想いの決結に、言葉が出ない。
あの1カットで、幾つもの葛藤が一瞬で晴れる。

空を飛ぶ飛行機。
ここに何を込めて、何を映すのか。

下準備が万端な背景設定から、1人の男の子の目から。フィルムが回り。
騒がず、焦らず、淡淡と物語を歩み、そして優しく離す。

こんなに美しいフィルムを映画館で見なかったことを後悔すると同時に、
今見れたことを幸せに想う。

その後のことは気にならず、
その後のことを自分の中で描こうなどという曖昧さや思考の交錯・憶測は無く。

様々な伏線の後、どこに結ばれ戻るのか。
そんな漂流生活の最終漂着点は、見当たらない。
漂流とは、行く先が見当たらないから漂流というわけで。

ただただ、優しく離された気持ちがこうやって、言葉を書いていても、
いつまで残るフィルムを観たのは、初めてのことです・・・・。


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「空中庭園」 豊田利晃監督  [君にMOVIEを!]

幸せの形は、人それぞれ違うように、家族の幸せの形も違う。
着床をした時点から、子宮とオサラバする≒10ヶ月の時間の旅を終えると、
始まる「家族」というSTART。
しかしながら、何をゴールとするのか?

子供の結婚?
伴侶の死?
自分の死?
子供の死?

時間として区切る「終わりの存在」を求めるために、それをゴールとする瞬間のために、
家族と時間を過ごし、家族の為に生きる時間を作るのではなく。
そこに自分が存在したいがために、計算もせず、欲も持たず。

ただ、「幸せ」という影も形も味も匂いもないものを、常に貪欲に探求するのではなく、
日々普通を積み重ねるだけで、いつのまにか結果的な幸せな形が訪れたり、
時に苦渋な時間を味わったり。

そういうバイオリズムにも似た上下運動を繰り返しながら、僕らは日々を生きている必要。

「普通」を恐れず、「普通」の流れの中で、
なんとなしの幸せを感じる瞬間の訪れを、不意に感じたいと。

でも感じた時に、その不意の幸せがくるわけで。
不意を予見できたら、それを「幸せ」と感じる事は出来ない。

自分の幸せを作るための「作られた幸せ」「プロデュースした誰かの幸せ」は、
自分が幸せになるものではなく、贈る「誰か」の為に幸せを得るものだと感じるのです。
それが愛する家族の幸せだったとしても。
決して、自分の心底な幸せとは繋がらない。

心底幸せというのは、自分にとっては予想も出来ないことが訪れた時。

「空中庭園」 DVD発売。

溜めてた臭気を放つ途中のシーン。

衝突を繰り返し、輪郭を放つ家族という円。
自分が望むようにコントロール整形することは、不可能に近く。
いびつだからこそ、少しばかり余計に愛を感じたり。
いびつだから、自分の形に合わせることが出来たりとか。

そういう幸せの探求の形を、強引に持っていく流れから、徐々に綺麗な形を作る。
小泉今日子のみならず、大楠道代の素晴らしい表情の巡り方には、驚きを感じる。
フィルムのラストに向かうまでの、口調1つもまた完璧な情景を生み出す。

最後のシーンへの階段。
ブチ撒けたものを、丁寧に積み重ねる映像。
ソニンの最後のカットも、想像も出来ない素晴らしいものだったし、
小泉今日子と大楠道代の電話のシーンも、震えがくるくらい素晴らしいものだった。
一見、無造作に散らばった理不尽なパズルは、実は修復を予見しながら
フィルムを散らばしただけであり、最後のシーンにピースが綺麗にはまる映画は、
見ていても心地が良い。
それも、最初の散らばりかたが半端じゃなかった分、ラストを間違うととんでもない駄作に
なる危険性を孕むにも関わらず、それが綺麗にはまる美しさには、脱帽です。

得てして、広げすぎた物語の構成は消化不良を生むのですが、それも感じず。

「フィルムを見たな」という実感と時間。

豊田監督は執行猶予の後、新たな形を探している。

映画監督という立場における薬物の罪、しかしながら彼の仕事を見たいと感じる。

消えてしまうには、まったくもって惜しいと感じる。
フィルムは、1つ1つが革命であって欲しい。
ありがちなフィルムではなくて、何かをひっくり返す力であって欲しい。
そういった意味で、必ず豊田監督には戻ってきて欲しい。

クスリを使い、罰を受け、社会に戻り、罪を背負い。
そうして出来上がった作品の力がフィルムに宿る瞬間を、お金という対価を出して見たいと。
そう思います。


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座頭市 [君にMOVIEを!]

ようやく座頭市の世界を理解できる入り口に立ったからこそ、こうやって文章が書ける。
それが単純に嬉しい。

昭和の映画のスピードは速い。
単純に現代映画の、30分も短いであろうフィルムの長さを、比較してるわけではなくて。
とにかく速い。

ユーモアやジョーク。
掘り下げる必要の無く、物語の進行に必要に無い脂肪を削ぎ落とし、
重要なとこですら、見ている側に託す。

フィルム数秒。
セリフ一言。
その範囲に詰まった物語が、人それぞれ違う事を、まるで見透かすように。
ただ一瞬の出来事のため、瞬きを許されない。

それが昭和の名作「座頭市」であり、名優「勝新太郎」であると。
そう思って止まない。

昨今映画を見るのが減った。
浅野忠信が好きで、彼の映画は全て映画館で見ている時間もあったのは、
彼が僕にとってのムービースターであって。
銀幕の中でしか見れない、彼の眼光は恋するに価する素晴らしいものだった。

昨今、緩やかな人間愛に近いフィルムが増えたし、ドラマの延長がやけに囃されるのは、
どうも好かない。
それはドラマであって、フィルムではないのだと。

娯楽の延長じゃなくて、もう少しばかり神聖で、監督・脚本家が本当に言いたい部分なんて、
全てじゃなくて、一瞬の仕草だって信じてるから、ドラマのようにダラダラ見れないし、
気を張る分、期待も大きい。
そうやって、フィルムを見るのだから、簡単な話なら見たくない。

浅野忠信が台頭してきたお陰で、忘れかけてたムービースターが蘇る。
松田優作のように、フィルムに命を削った男の存在が、映画館の対価を押し上げるような。
そんな気持ちになる。

北野武が映画を撮れば、世界が賞賛し、批判もするキタノブルーの世界が広がる。
勝新が目を閉じて。
呼吸の息吹が聞こえてきそうな時間の流れるフィルムから、映画の呼吸音が聞こえる。

モノクロの時代を過ぎ、カラーであっても尚、空の青さがこんなにも青いのかと
そう感じてしまうような理不尽な空間の中での殺陣の壮絶。

隙間と隙間を埋める必要のない圧倒的な疾走感と、細かな部分にでさえ、
注意を払う繊細さを兼ね備えていながら、一貫した主張を貫くフィルム。

三隅研治監督の座頭市は、完全なる支配力を持ちながら、観客に少しばかりの余裕をくれる。
その余裕で考えて、市の話す「一言」の感慨をくれる。

市の怒号の意味と。
その怒号の奥にある優しさや憤りが、勝新太郎という「変わりなき」昭和の名優の姿を通して、
ビンビンと伝わり感じる。

木々1つ。
小さな矛盾や疑問は、簡単に解決出来るこまやかな話の練り。
女性の裸が無いのも手伝って、色物の匂いのしないメクラの世界。
仕込みの発想からなる、地球上最初で最後の完璧なる殺陣。

義理人情など、誰もがそれに重きを置き。
生きていくうえで当たり前で大切なことをフィルムに焼付け。

風を斬る音。

足が大地を締める音。

メクラにしか見えない世界観。
金にこだわる地獄はなく。
美人に惑わされる揺れもなく。
眼から入る全ての情報の皆無は、事象を単純に心に投影する。

メクラにしか見えないものがある。
メアキには分らない世界。
それこそが、キタノブルーとも交じる答え。
つまりは、座頭市の命題と心。


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さらば青春の光(QUADROPHENIA) [君にMOVIEを!]

初めて、ライブに行った夜。

バイクに跨って。
刺青で綺麗に埋めた両の手。
財布に繋がる鈍く光る金物。

どうやったら、あんな風にカッコよくなれるかなんて。
純粋に考えて。

どうやったら・・・・・。
ブランキージェットシテイを愛する荒くれの人間は、空気が違ってた。
普段なにやって生きてるんだ?!と思うような人が沢山いた。

今なら、その人たちはヨイトマケな暮らしの中。
「アルコールとR&R」の中を泳いでるんだろうななんて単純に思ったり。
金持ちなんかほとんどいない世界で、あんなに泥臭く力強く見えて。

刺青・バイク・アルコール・DRUG・R&R・・・・・・・etc
「あんなことを地で行ったら、社会に枠組みなんかに入れるわけがねぇーだろ!」って
思わせるような男の世界には憧れたけど。
彼らの姿の果てには、諦めたものや、手に入れたかったけど、
手に入れることすら出来なかったものとか。そんなもんで溢れてる。
その残骸なのかもしれない。

金持ちになりたいのは、純粋な気持ちで。

金持ちが、彼らのような同じ格好や空気を纏うことは出来ないだろうし。
オシャレPUNKSが浮き足立つような、リアルPUNKSの井手達なんかは、
本当に周りの空気が違うわけで。

バイク一台。
トッポイ単車を手に入れて。
そんなもんを転がす生活の中にも、金が必要で。
僕がカッケーな!なんて思うようなバイク乗りが、「バイク乗ってるだけでお金になってます!」
なんてヤツなんかいるわけないし。

リアルな話で行けば、僕が思ってた「朝まで呑んで、昼過ぎまで寝て。夕方に酒のみに行って」
なんて山賊みてぇな生活してるヤツなんかいない訳で(笑)

どっかで、社会に入ってゼニ貰って、休みの日にはバカやって。アホやって。
そうやって生きていって。
それを逸脱したら、刑務所行かなくてはならんくて。

キラキラした世界なんかこの世界にはなくて。
あったとしたら、一部の人で。
世界はそれをスターと呼ぶわけで。


「さらば青春の光」

この映画多くの葛藤する10代の人に見て欲しい。
僕が10代の時に見たら、また違う人生があったんじゃねぇーかな?
なんて単純に感じたり。(まぁ、あの女の付き合い方とかは、まったく参考にならねぇーが(笑))

無茶苦茶で全力疾走。
ブレーキが利かなくなった身形の果て。
どこにも行く場所がないことが、徐々に理解しながら追い詰められ、絞められる。
10代時分に外したものはどうにでもなるんだろうけど。
それでも、道は制限されてしまう。

よくテレビで「10代は勉強しなさい」と言う。
10代だから遊びたい気持ちで溢れ。
10代だから盛りのついた猫のように、メス猫を探しユラユラフラフラ。
それもまた10代のシンボルなんだけど。

20代。
やりたいことを見つけて。
それがゼニが無ければ、まかり通らないもので。
そん時、ゼニが無いから諦めるとしたら。
こんな切ない話はない。
そう感じたりする。
勉強しやがれ!ってことじゃなくて。
やりたいときにやりたいことに勝負を賭けられないのは、
ステージにも上がれない屈辱は、諦めてしまわなければならない対価は?

本当は悪くないんだけど。
僕はタイミングが逢わなければ、自分には必要ないものと割り切ることも多いから・・・・。

でも、最期のシーン。
ベルボーイのエースを見つけた時の顔と苛立ち。そして衝撃。
あのシーンがたまらなく好きです。
結局はそういうこと。
憧れてたあの人も、荷物を沢山抱えさせられ、誰かに頭を下げながら生きてる。
週末、ランブレッタを転がす最高にかっこいい男だとしても。

頭を下げるのは、誰かじゃなくて。
やりたいことをやりたい自分に対して頭を下げる感じ。
やりたい自分に頭を下げて。
そうやって、得たゼニを持って。自分の愛する未来へ流れるのだと。

悩むような暇はなし。

働いて働いてまた働く。
無駄遣いをするために。


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「空中庭園」 豊田利晃監督 [君にMOVIEを!]


小泉今日子。
「風花」以来の主演。
結局「風花」は、監督相米慎二 の遺作になったわけですが。

女優としての域を押し上げる映画になったはずなのに。
小泉今日子も、そして豊田利晃も、「傑作」と疑って止まない
映画「空中庭園」の公開を目前に控えていたのに。

映画監督の豊田利晃容疑者(36)が、覚せい剤取締法違反(所持)の現行犯で逮捕。

配給会社は最悪、お蔵入りも・・・・。と発表。
公開に向けて調整してるようだが、どうなることやら・・・。
なんとかして欲しいわな。

角川春樹も、シャブ捕まったときは、伝説の(笑)映画「REX」の公開中で、
確か、公開中止になったはずだもの。

ベンジーも「HELL IN」と歌い。
それは、文字通り、「ヘロイン」をもじったもの。
シャブは、骨までしゃぶりつくすから、シャブ。
抜け出ることが、困難な地獄の一方通行。

一番の被害は、ポルノスターやナインソウルズを越えるであろう、豊田監督の
最高傑作となるはずであった「空中庭園」という映画そのもの。

切ないな。

この映画を観たかったんだわ。
映画って観たいなって思うものが少ないから。
やっぱりそう思ってる映画が観れなくなるようなのは、単純に嫌だな。

映画の配給は望むが、豊田監督は裁きを受けなくてはならない。

個人的には、色んな経験をした監督が新たな境地を拓いて、
より素敵な映画を、僕らに観させてくれることを望むが、シャブはいかんわ。

シャブの力を借りて、創り上げた映画は、ドーピングと同じで、自力とは言えないわな。
不可抗力が発生してるから、傑作を生める可能性は高いけどね。
だって、僕らの一般生活には届かないところに、トベるんでしょ?

でも白い粉、3.9gで映画1本吹っ飛びそうなんだからさ。
彼にとって、それだけの対価なんかね。

「空中庭園」

3.9gの価値しかないのか、そうじゃないのか。
やっぱり観てみたいな。

==追記==
>>覚せい剤取締法違反の現行犯で逮捕された映画監督の豊田利晃容疑者(36)の
>>新作映画「空中庭園」の製作委員会は29日、映画を予定通り10月上旬から
>>全国で順次公開すると発表した。

>>同委員会では、事件後公開の是非を検討してきたが、上映を望む声が劇場などに
>>寄せられ「観客への責任を全うしたい」と公開を決めたという。
>>東京、大阪の劇場で上映予定だった東京テアトルは「社会的道義的責任は重い」として、
>>公開中止を独自に決めている。

良かった・・・。
公開するそうです。
前売り買いに行こ。


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シネマバトン from「8」&「nu-nile」 [君にMOVIEを!]

シネマバトン貰いました。

だもんで、答えます。
映画についてはムラムラしてたんで(笑)

「Q:購入済みのDVDまたは録画済みビデオ本数の総計は?」
 引越しの時に、随分と処分しました。
 以前はダビングファクトリーぐらい、ダビングしながら見てました(笑)
 今はあんまないっす。
 特定の監督作品だけはコンプリートする感じです。
 北野武が一番好きです。

「Q:いま面白い映画はなにか?」
 なんでしょうかね?
 ないです。
 見たい映画は、随分と前に前売り券を買って、待ち焦がれるタイプなので。

「Q:最後に見た映画は?」
 (映画館とビデオorDVD鑑賞、双方あげてください)
 映画館は、「コーヒー&シガレッツ」
 家では「ワイルドゼロ」

・よく見る、または特別な思い入れのある映画を5つあげる

 ①竹内鉄郎監督 「ワイルドゼロ」
  
  セイジ(ギターウルフ)の「エッーーーッス!!」の声に何度も死にます。
  最高。
  話がぶっ飛んでる。
  よく見てます。笑ってます。

 ②北野武監督 「ソナチネ」
  映画の良し悪しは、ラストシーン。僕はそう思ってるから。
  「この後、どうなったんだろう?」なんて考えるような映画は嫌い。
  ラストは綺麗に終わりたい。
  ラストシーンが綺麗な映画は忘れない。
  僕にとって、「死」という映画のラストがこんなにも儚く美しいものだと、そう感じた最初の作品。
  今でも本当に好き。北野監督のラストシーンが、世界で一番美しいと思ってる。

 ③黒澤明監督 「七人の侍」
  「黒澤映画を見てない人は、幸せだ。なぜなら、これから初めて黒澤映画を見るのだから。」
  この言葉の意味が分かったのは20歳の頃。
  黒澤監督は、中高の先輩だ。遥か上だが(笑)
  17歳の頃、学校全体の鑑賞教室では、まったく意味のわからない映画も、
  20歳の頃、みてショックだった。
  名作といわれるだけある。これは、本当に凄い。
  男の話。
  「仁義なき戦い」や「座頭市」なども見たが、この壮絶には一歩劣る。
  男の在り方を教えてくれる映画は好き。
 
 ④フランシス・フォード・コッポラ監督 「ゴッドファーザー2」
  「タクシードライバー」より、「ゴッドファーザー」
  「スカーフェイス」より、「ゴッドファーザー」
  「乱暴者」より、「ゴッドファーザー」
  涙なくして語れない、壮大な男達の物語。
  男たるもの「ファミリー」を守ることが一番重要。
  やはり「2」が最高。
  ちなみに見出すと止まらず、朝になる。
  コレ基本。
 
 ⑤SABU監督「ポストマンブルース」
  音楽もそうだけど、僕は日本の映画が好き。
  SABU監督は、すげぇ好きな監督の1人。
  新作が出れば、必ず見る。
  一見強引な設定と強引なストーリー。
  それでも、話は美しい丸になっていく。
  おいおい!!と思いながら、いっつもラストまで持っていく。
  つまらない映画は、呼吸が出来る。
  面白い映画は呼吸が出来ない。
  だから、席を立てないし、眠れない。
 SABU監督の映画は、少しの呼吸で随分深く潜らされる感じ。
  
  最後まで、爽快感を持って席を離れるのは、100本に1本くらいだ。
  いい映画に出会ってないのか?と思うが・・・・・。
  
  随分と映画に疎遠になった。
  つまらない映画にお金を掛けすぎること。
  テレビの延長線上での映画には、うんざり。
  
  あるときは手引き。
  あるときは、ドキドキするための最高の道具。
  娯楽が、娯楽でない映画が多すぎる。
  映画である以上、ドキドキしたいんだ!!
  愛やら恋やらじゃなくて・・・・・。
  
んな感じっす。nu-nileさまありがとう!!


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「コーヒー&シガレッツ」 [君にMOVIEを!]

例えば、旧知の仲。
久しぶりの再会。

中途半端な再会は、時間の「間」も埋めれず。
会話もきれぎれ。
こんなことってたまにあります・・・・。
なまじ「飲もう」とか言われたばっかりにそんなことなってしまったり・・・・。

酒だったら、まだしも。
昼間なら・・・。
そんな匂いが漂った印象の「コーヒー&シガレッツ」
ジムジャームッシュの新作。

コーヒーもタバコも。
時間を埋める一種の手段に近いのも一理。
やるせなさ。
きまづさ。
親友との会話の間に挟む。つかの間の休息・・・・。
いろいろあれど、僕はコーヒーとタバコが好き。
BERRも(笑)

時間を埋める用途じゃなく、そこで一つの「間」を作る。
1日において。
自分の時間をやさしく丁寧に区切る「間」
それを確認できた映画でもあったと思う(笑)

素敵な時間は「コーヒーとタバコ」
愉快な時間は「ビールとタバコ」

たとえ、一人でも大切な時間。
みんなといれば、それもまた大切な時間。

僕の大切な時間には、必ずあるもの。
例えば、起きてすぐの仕事に行く「間」としても・・・・。

凄く好きな匂いのする映画でした・・・。
ありがとう。


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