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是枝裕和監督 「奇跡」 [君にMOVIEを!]

11歳のボクは大人になりたかった。
大人になって色んなことを、好きなようにやりたかった。
夢も希望も、持てるだけ持って、積めるだけ積んで。
チャリンコがあれば、どこにでも行ける様な。
そんな感じで。

32歳のボクは大人を面倒くさく想ってる。
色んなもので身動きが鈍くなって、何かキラキラしたものが
剥離してる気にも。

是枝監督の「奇跡」を見た。
「JR協賛の新幹線の映画」
これだけだったら、映画の質としては全く期待できない。

kiseki1.jpg

でも是枝監督が、子どもを使って撮る映画なら。
と新宿バルト9にて。

感想から言えば、万人が同じ感覚を持てるとは思えない映画だと想う。
わかりにくさというか。
さりげないセリフの中に、感情のゆらめきが散っていて。
少し目を離すと、少しずつズレてしまうような。
気を張る、気を遣う映画。
ボクの好み(笑

是枝監督の子役の人選は、本当に素晴らしいと想う。
オーディションの素人をスクリーンにというのは、
とっても、微妙だと想うけど。
これが全員子役だと、その現場の雰囲気1つで。
子どもは役柄を越え、設定年齢相応の仕草や言葉が出る。
少し編集した感じが、余計にリアリティを生み。

完成された子役ではなく、その八分目加減が、映画に柔らかな空気を生み。
予め、決められたセリフでもなにか自然に出ているような感覚に陥る。

まえだまえだのおにぃちゃん「航基」は朝の連続テレビ小説にもしっかりと
出てたし、幹としてはいいと想う。
時々、やり過ぎ出すぎ感があっても、周りが自然なので上手く中和される。
子どもだからというのは無く、ちゃんと等身大で成り立つような映画の
空気がいい、誰も背伸びもしてないし、誰も無理をしていない。
自由で青天井。

脇を固める俳優も、それ相応の実績があるので、
こぼれ落とすことなく、映画に凜とした感じを張っている。
見ていて安心感がある、キャスティング。

単に、福岡と鹿児島の話ではなく。
福岡は福岡の話が確立されてるし、鹿児島も然り。
どちらでも映画1本いけるぐらいの贅沢さもあわせながら、
肝心な部分は削らず。
重要な伏線として残しながら、最後も安易なHAPPY ENDで結ばない。

ロードムービーの多くはHAPPY ENDで終わらないような
イメージがある。
それが凄く良くて、結局てのひらに何が残ったのか?というすべてを
明確にしない。
幾つかの部分を観客に投げて、旅は終わる。

この映画は、色んな物語の進行の中で。
最後綺麗に結ばれる感じが凄くいい。

どこも曖昧にせず、綺麗な道筋を立てる。
このお金はここから生まれる。
なんで、こうなるかとかすべてを明らかにした状態で進めるには
時間もかかるだろうに、それを無視しないのが、
是枝監督の映画の安心感だと想う。

皆が大切にしてる美徳のようなものがテーマじゃなく。
その価値観や世界を理解できなければ、皆たどり着けるおわりではない。

何も諦めず。
何も妥協せず。
大人なら、そういう言葉になってしまうものも。
子どもは違う。

子どもは成長という言葉の中で、色んな大切なものを積み上げていく。
固まったりしないし、崩れても意に介さない。

そうやって、大きくなっていく。
世界は広がっていく。

大切なものは、教えるよりも感じたり。
経験したりすることで、自分の世界の地図にすればいい。

子どもは大人になれるが。
大人は子どもにはなれない。

当たり前な今更な部分を、凄く痛感した映画だった。

大人の今を落胆してるわけではないが、
あーいう風に生きるには、今は随分余計な知識や経験が邪魔をすると
そんなことを想うのです。



これから夏休み。
ボクが小さな頃に過ごした青森や福島。

関係があまり良くはなかった福島の祖父母の家。
正直、青森よりも自然しかなくて。
毎日が冒険のようだった。
今思い出しても、一本の道の点在するお店1つ1つを想いだせる。

あぜ道も、川も海も、虫も、蛙もなにもかもが。
よく考えたら、夏休みといえば、福島な思い出。
母方の実家だったから、父方よりは夏休みの過ごし方としては
自然だったんだろう。

あの景色は、津波で飲まれ。
常磐線ギリギリのあの母屋は、福島第一原発で避難区域に指定され。
おそらく立ち入りすら曖昧な現状になっていると聞く。

憂いの話は、書いていても言葉に詰まる。

良い夏休みを。
32歳の夏も1回しかないが、11歳の夏も1回しかない。

冒険というのは、海賊だけの話じゃない。
自転車でも、自転車で行けない場所でも、ドキドキがあったら、冒険だ。

ドキドキするのに、努力したり金使ってるようじゃ、子どもに勝てないわな。

弟の旺志郎は、しり上がりに良くなる。
まぁフィルムだから順番どおり撮ってないとは想うけど。
物語が進むに連れてぐんぐん良くなる。
それも成長かもしれない。

内田伽羅のスクリーン映えには圧巻でした。
是枝監督だから、より良かった。
今回の出演の子どもたちが、あまりに自然すぎてドキュメンタリーに見えるぐらい。
そうか、そういう部分もあるのかな、深読みか(笑

こういうあれこれ見終わっても、考えが溢れるのは良くないが
気持ちはいい(笑


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「さや侍」  監督:松本人志 [君にMOVIEを!]

おそらく、これが松本人志という名前がなければ、
正直水曜日の映画館まで行って、映画を見なかったと想う。

インタビューなどでも、映画に集中する時間が欲しかったというような、
まさにそんな印象を受ける部分もあった。

ただやりたいことが明確なので、細かい設定や背景は無視したと
感じれるのは、「やりたいこと」に費やせた印象を受けること。

新喜劇のようなテンポも、きっと分かりやすさを加速させてる部分。

客も笑うが細かい笑いがとても、リズムを作ってたし、
そのリズムの流れで、まぁそうあるでしょうというラストへの流れは汲めた。

子役の熊田聖亜は、滑舌がいまいちなのか、
気持ちがガツッと入る部分でモゴっとした印象を持つが、
その辺も見る人間には印象が違うとは想うが、
昨今の子役の台頭を見ると少し素が残る感じが、親近感。

上手過ぎる子役は、時に映画を味気ものにしてしまうようでおっかない。

細かいテンポで刻んでのLASTではあるが。
「その辺のおっさん」が主役な以上、白装束を脱ぐときの感じは、
時代劇にあるクラッシックな感じが念頭にあって。
やっぱり伝わって来ない部分があって。
それなりの役者ならあそこでビリビリ感が伝わってくるとは想うが、それはない。

img_926399_60533888_0.jpg

今考えると、綺麗な映画ではない。
乾いた印象がある。

散らかっているわけでもないが、隙間が多くて粗もあるが、
非常になだらかな映画であるということ。
感情の起伏も故、あまり起こらない。

キャスティングで少し締めてる感じがあったので、
全体的なグズグズ感は起こってないが一歩間違えれば完全に危険な
映画だとは想う。

少し逸れるが。
最近野狐禅を聞いていて。
最後の竹原ピストルには驚いた。

あそこで竹原ピストルもギュっと来たし。
凄く最後を優しく包むには、あのシーンが非常に利いていたと想う。

映画館にいた人のほぼ全員が、多分あれが野狐禅の、元か。
竹原ピストルだとは知らないだろうけど。

柔らかい物語をあの場面で密閉した感じの。
竹原ピストルの威力は素晴らしかったと想う。

猛烈な感動や感傷には至らないし、もう1回とも感じないが。

先日13人の刺客のリメイクをみたが。
侍・ちょんまげ映画にハズレなし。
そこそこの満足感は得られる。

何はともあれ、ドタバタな感じをLASTで締め切れず。
そこを竹原ピストルが後ろで締めなおす。

あの流れは正直、竹原ピストルの価値で勝ち。
あのキャスティングは「さや侍」を一定の評価に持ち上げるに十分な
空気だったとは想う。
あれがなかったと想うと、言葉に詰まる。

それも竹原ピストルでなくてはいけない。

ある大阪の夜。
野狐禅を初めて聞いた夜。
4年前の夏のような気分を映画館で感じた。
http://roosters.blog.so-net.ne.jp/2008-08-13

あの夜から、ボクには竹原ピストルが特別な男になってる。
日本中。
本当に日本中を歌い歩いてる。

あの映画で少しでも竹原ピストルを知って。
歌を聴いて足を運んで欲しいと想う。

こういうのもなんだが。
日本に演歌があって。
やっぱり日本人の気持ちに染みるように。水戸黄門のように。

竹原ピストルには、そういう染みさせる部分が存在する。
ボクも久し振りに酒でも飲みながら、
彼の歌が聞きたくなった。
http://roosters.blog.so-net.ne.jp/2008-11-08

こういう後押しは、本当に良いものになると想う。
またそうあって欲しい。

正直、毎日ワイドショーでおっかける娘たちの歌う唄が
何か空虚に感じてしまい、心が荒む。
そういう部分を感じる多くの人がたどり着いてくれたらいいと想う。

日本人が想う美徳が時代劇に簡単に取り入れられる要素が多いように。
竹原ピストルにもそういう要素が多いはず。

この映画の賛否は微妙な部分ですが。
サムライ・チョンマゲ・カタナはやっぱり安心というのは、
日本人だからかな(笑)


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「毎日かあさん」 監督:小林聖太郎 [君にMOVIEを!]

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妻と毎日かあさんを見てきた。

小泉今日子×永瀬正敏の出演、
永瀬正敏の役者魂たる減量、
封切前から話題には事欠かなかったが、
正直にいえば、もう少し脚本に密度があってもいいんじゃないか?と
思うぐらいさらりとしていた。
熱っぽさがあまり無い感じ。
西原理恵子の原作には熱っぽさがあるのに。

主眼ははっきりしていたので、
そこをしっかり踏まえると、また見方が変わってくると思う。
アルコール依存症と家族、そしてこども。

さらりと感じつつも、グダグダにならなかったのは、役者の力だと思う。

自分のバローメーターで泣く!!とわかっていながら、
鑑賞する過度な期待感の高揚を胸に。
「死」に直面するシーンを頂きにすると、
そこまでのシーンは、階段にしかすぎず。

登っていくその過程にしては、さらりとしている。
そういうイメージなのかもしれない。

例に漏れず、死に対峙する場面では、涙でしかなかったわけだが。

永瀬正敏がいつもと違うと感じた。
役柄ではなく、妙な親近感を抱いた。

先日、偶然テレビで、小泉今日子×永瀬正敏×古田新太の対談が
やっていたが、そこにもあったように。

今までのフィルムの永瀬正敏は、孤高のようになっていた。
見ていても、そのカッコよさや頑固さや融通の利かない感じが
フィルムからも滲んでいた。
壁がある感じ。
その憑依の仕方が完璧というか異常。

今回の毎日かあさんでも基本的には変わらないのだとは
思うのだけど、ピリピリとした空気が伝わらない感じが
より柔和で人間くさい部分を、充満させてくる。

永瀬正敏だが、永瀬正敏じゃない感じ。
考えてみれば、永瀬正敏の映画を見るのも久しぶりなのかもしれない。

鴨志田穣が重なってくるようなイメージは、本当に見ていても
空気がきっちり付いていて、見ている側が妙に鳥肌を感じるぐらいの
そんな感覚に陥る。

後半につれ、小泉今日子も西原理恵子に見えてくる感じは、
妻との共通の気持ちだった。

そんな2人の妙な空気をもっと感じたい、嗅いでいたい中で、
消化不良のまま、クライマックスへ流れていく。

でも、きっと撮影している側は楽しかったと思う。
長い長い時間をすべて切り取りたくなるような、
本当の家族とこどもの笑顔だったのだろうなと思えてくる。

アルコール依存症という厄介な病は、
気合だとか根性でなんとかなるもんではない。
ここに鬱病も絡んでくると、もはやどこから切りだしていいかわからなくなる。
苦しい病であること。

場面の抽出の仕方がもっとほんわかしたものではなく、
もっと凄惨でもよかったのではないか?とも思う。
こどもの姿も、小泉今日子の演技もそれに耐えうる柔らかさが
あるのだからとも思う。

ホームドラマに近い形にしては、話しがシリアスだし、
シリアスにしては、ゆるい。

もう少しの何かを持てば、ただ「死」というものだけではなく
心に去来するものが、とてつもなく大きかったと思う。

ボクら世代には、永瀬×小泉となれば、
金を出しても見たい映画になるのではあるが。

単純に2人の次回作が気になるような踏み台的な部分もある。
原作の良さを、原作を表現しながら、もっとわがままに。
もっと踏み込んでも良かったのではないか?というのが感想。

いずれにせよ、2人の演技は圧巻。


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「OUTRAGE」 北野武監督 [君にMOVIEを!]

満を持しての「OUTRAGE」

昨日の舞台挨拶の午後の部。
新宿ミラノ座。

1000人は収容できる、とにかくデカイ映画館。

PA0_0061.JPG

先に書きますが、すべては個人的な感想であります。

アウトレイジ。
とにかく早い。
そしてわかりやすい。

北野映画というのは、基本「沈黙」にあるように
葛藤や複雑な描写を言葉にしないことで、観客に意図を投げかけながら
物語が展開していく部分が多い。

少しでも解釈を違えると、監督の意図した部分とは
まったく違った理解に結びつくが、それもまた映画という娯楽の1つだと
考えている。
監督が感じたことを、観客すべてが感じる必要がなく、
それぞれがそれぞれの尺度と解釈で良いということ。

今回は、すべての役者、それも中核のみならず、末端チンピラまで
そのスポットを丁寧に当てて、曖昧にしなかったことで、すべては点で線で結ばれ。
最後は綺麗にまとまるという。
北野映画にしては、すべてを説明し尽くした上での結びは、
意外性のあるものだった。

早いことで、休む間もなく展開していくので、
スリリングさは削がれ、少し淡々さが感じられる。
こういう仁侠映画は、基本少しでも目を離すと展開が随分変わってたり、
人が簡単に殺されてしまうので、そのストーリーが複雑になりがちだが、
主要な線の上に、皆踊るのでしっかり見てればわかりやすい。

関係者は蟻の子一匹残さないというような手法は、
非常に忠実だと想うし、残虐な殺し方もどこかシュールだったり、
妙に間があったりすることが、非情な残酷さを綺麗な形にしようとする
部分があって、凄くいい。

大体、一発弾けば終わる部分を、組織壊滅後半で知らしめるような
殺し方はストーリーの中では必要の無い部分。

そういう意味では、北野映画の良いところというか、
海や海岸線のコントラストの中で、シュールに淡々と主要なキャストが
いなくなるという部分は、とても丁寧だと想う。

確かに悪人ではあるのだけれど、それぞれが脚光を浴びすぎて、
極悪ではないのが惜しい。

椎名桔平の演技のみならず、すべてのキャストは完璧だったし、
すべての出演者の末路もすべて描かれるというのは、珍しい。

以下、かなりのネタバレですので、
興味のある方はどうぞ。

PA0_0062.JPG

加瀬亮。
売人が、シャブの卸しの件で「ねぇ、石原さん」と白々しく聞くシーンで
石原(加瀬)が売人をボコボコにするシーンに象徴されるかのように。
節々で、石原の金の執着や金の流れ、本心が出てくるが。
そこをハッキリさせないで、物語の中に包まれている。

最後への付箋としては、実にわかりやすく丁寧だった分、
石原の生き残りが徐々に確信できてしまい、やっぱりか的な。

裏切りらしい裏切りは行わず、スルスルと抜けていく感じは
何かサッパリしすぎてる気持ち複雑な感じ。

もう少しドロドロした裏切りでもいいかと思いながら、
想像通りの三浦友和の謀反もサッパリした感じだったので、
まぁ最後に勝つのは、ドロドロしたヘドロの上に立つ感じよりも、
あっさり降ろすという北野映画らしい部分かなと。

いつも通り、弱小組がデカイ組織や本部とぶつかって、
手詰まり全滅という、わかりやすいストーリーだが、
もう少しARTっぽい手法で、綺麗に殺しても良かったのではないかと。

でも、インタビューにもあるように。
カッコイイヤクザ映画を観たければ、Vシネマを見ればいいし、
Vシネマでは咀嚼し尽くされてしまう部分を丁寧に描くという部分では、
キャストも含め、脚本も非常に「観客」に寄った、つまりは観たい人にわかりやすく
観たい部分を見せるという趣旨に沿った映画だと想う。

確かに、仁義無き戦いのような荒々しさや、泥臭さはない。
BROTHERで結構やってしまった部分の確信的な取りこぼしが
蓄積されていて、それをすべて吐き出した感じも匂うのは、個人的な
ただのこじつけだとは思いますが(笑

昨日は舞台挨拶で、近くにオフィス北野の森社長も、
監督の挨拶を笑顔で聞いていたが。
監督も饒舌だったように、マスコミが言うほどカンヌでは悪評ではなく、
やはり「菊次郎の夏」を撮った映画とは思えない最悪だと評する人。
また斬新なバイオレンス映画だと評する人が真っ二つだったようで。

その評価は監督も満足するものだったようで、
海外では上映された今までの作品以上に評価され、上映される映画であろうと
話していた。

様々なメディアでも同様に話している分、本心なのだと想う。
受賞には至らなかったが、バイオレンス映画でも評価する人は、
脚本・描写すべてを含め優れた映画として評価するという確信を得ているのだと想う。

「菊次郎の夏」は非情に優れた映画なことは間違いないし、
でもロードムービー、慈愛友情、ノンフィクションだけが映画じゃぁないだろうという部分。
また「菊次郎の夏」という評価がカンヌで高かった分、それだけじゃねぇーよ。
と想う分、覆したい感も多分にあったんだと想う。

日本には仁侠映画の土壌があり。
自分の意思以上に、一度はヤクザ映画を観るであろう。
そこにある義理や人情が土台にあるので、
理不尽な要求も親分子分の縛りで、こういうもんだと説明しなくても
理解出来る部分も多い。

また、ある程度ヤクザという枠組み上、
ルールに沿って物語りを当てはめる分、さほど無茶な設定はない。

こういう部分は、海外では意外に斬新に見えるのではないだろうか。
説明書きが多く、わかりやすい分。
任侠のいろはがわからずとも、容易に理解出来る部分も多いと想う。

北野監督にしては珍しく。
観客に任せる部分が少なかったのは、自分の意図をしっかりと伝えてみようという
新しい試みに思います。

まったく観客に教えてしまうわけでもなく、
その中の「?」はあるとは思いますが、
個人的にはほとんど「?」が無い脚本でした。

國村隼が、舞台挨拶で「コメディ映画です」と言っていたが、
「コメディ」で見れば、コメディでも見えなくは無い。

特にシュールなラスト、三浦友和の姿。
白ジャージ。
そこも踏襲すんのかい!みたいな。
そうツッコミどころは満載なのかもしれない。

OUTRAGE
何か以上何か以下という、頂点に立つ映画作品ではないものの、
感情移入少なく、映画に乗ってしまえば、最後まで時間通り到着するような
新幹線のような映画です。

余計なことを考えず、是非任侠映画を観ないような
10代のカップルに観て欲しい北野映画入門編的なイメージ。

ここから、是非さかのぼって。
難解なソナチネの描写まで、突き進め!(笑

PA0_0060.JPG

CUTも買って読みましたが、CUTのサイズが変わっていてビックリ。
遂にCUTが、あの厄介な雑誌のサイズを変えた!ということは
なんか嬉しくもあり、寂しい複雑な気分。





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「南極料理人」  沖田修一監督 [君にMOVIEを!]

先にOUTRAGEにも書いたけれど。
ドラマの二番煎じは映画じゃなくて、ドラマでしかない。

今日、あの「連合赤軍」の若松孝二監督の最新作「キャタピラー CATERPILLAR」で
寺島しのぶが、ベルリン国際映画祭のコンペティション部門で
最優秀女優賞を受賞のニュース。

映画という名の悪魔のような。
限りなくリアルに近く。
テンションを強く維持しないと見れない映画は、苦しい。
そんな映画には、人間の根底を揺さぶる部分があって。

その根幹すら危ぶまれるようになってしまう。
若松孝二監督の映画は、そういう渦巻きとダークサイドを直視して
描かれている故、目を背けたくなるような部分が多い。

描き方は独特でも。
でもどこかであるかもしれない、もしくはどこかであった話だから、
説得力も強く生まれる。
キャタピラーの反響云々よりも、生半可な気持ちで見れるほど
低い敷居では無いと、感じるゆえに重苦しい。

「若松孝二監督の・・・・」と聞いただけで、「うわっ・・・・」って想ってしまう。
この世界で今ボクにそう感じさせる唯一の監督。

反日日本人だとか、左寄りだとか言うけれど。
その歴史観などは監督自身の話で。
個人的には、「それでも映像にする、映画にする」という人間としてのACTIONは、
批判の対象にはならないと私個人は考える。

論理的に考えるよりも、心に去来するものが一体なんなのかという、
そういう根本的な考え方がそれぞれでいいとも考えます。
それで「クソだ」とか、「すばらしい」だとかは、自分自身で感じ得ればいいこと。

そんな話をした上での、「南極料理人」(笑

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ドラマよりも、とっても練っていて、映画より薄い。
この希薄感と間が非常にテンポが良くて。

節々でそのガチな演技に笑えたりします。
限りある資源を有効に!でもないし、南極という場所での過ごし方なんて
想像もつかないけど、マジメにはやってらんないだろうなと笑える部分であったり。

本来なら、「無駄遣い!」みたいな感じは無くて。
それはそれでいいけど、本当にそれでいいの?の繰り返し。

じんわり人間味溢れるドラマにはせず、なんだかその緩やかな曲線
そのままに、話は流れそして終わります。

ダラダラ見るには勿体無く。
気合を入れてみるほどでもない。

この曖昧さが非常に見るには、勇気のいるところ。
この手の映画は、「で、結局何が言いたいの?」となって、
時間を無駄に浪費した脱力感に蝕まれる可能性が極めて高いわけですが。

今回は、そのゆるやかな時間が非常に心地よかったわけで。
夕方、何もテレビに気持ちが向かないときに見ると得した気分になれます。

音楽が、劇中の音楽が非常に絶妙だなと、エンドロールを待ってたら、
奥田民生の声。
そして音楽は、阿部義晴。

そういうことか。って感じ(笑




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「THEE MOVIE」 ミッシェルガンエレファント [君にMOVIEを!]

つい30分前に映画館を出た。

1fd5cd81-s.jpg

色んな気持ちが交錯するけれど。
確かなことは、「やっぱり終わってしまったバンド」という事実。

R&Rは不変で、決して変わらないけれど。
あの瞬間あの時代、自分の時計とあの時、欲した感情を
すべてぶつけるだけの、受容と供給が、
あのバンドとボクの。ボクラの中に確かにあったんだと想う。

あれからの日々は、LAST HEAVENの映像や音は日常になり。
アルコールの発泡と共に。
また、朝の起きぬけのBGMに。そして手のひらの中に。

止まってしまったバンドの音は、その歩みを進めることはない。

ただ、腰を据えて。
飛び込む映像の中の、些細な気付きが。
妙に美しい光景に見えたことは、偽りの無い事実でした。

カルチャー終盤、緊張感のあるクハラカズユキの眼光。

ブギーの重奏。

チバユウスケのマイクについた骸骨マーク。

ジェニーの光景が、まるでステージが荒海越える船のように見えたこと。

アベフトシの右薬指の指輪。

アベフトシとウエノコウジのとても綺麗なドクターマーチン。

仙台での中止公演。
あの日と同じ、クハラカズユキがチャックテイラーだったこと。

FRFES、仙台語り継がれるあのバンドの伝説の一端の
映像は、何か忘れてた小さな欠片を貰えたような気持ちになる。

置き忘れたものは無かった。
あの頃のすべてがあそこにあって。
今を生きるボクには、あの頃に。
そして、あのバンドに抱く後悔が、微塵も無かった。

愛していた。

知っているんだと想う。
あんなに夢中になったことはなかったから。
あの頃に忘れ物なんて無いってこと。

「世界を終わらせない。」

でも、あの日確かに世界の終わりがあった。
いつまでもキラキラと輝く世界の終わりが。

THANK YOU thee michelle gun elephant

このバンドと同じ時代に、共に熱くなれていた
あの頃のROCKIN' BLUESを愛しく思います。

そして、これから体感する人がまた。
このバンドを、あのギタリストを脈々と語り継いで。
聞き続ければいい。

「懐かしいよね、ミッシェル。よく聞いてたよ」
なんて言う輩がいたら、
「アンタは昔かもしんないけど、アタシたちは今なんだよ」
って笑ってやればいい。

世界は終わっても、彼らのR&Rは永遠に終わらない。
ボクらもその音を、死んでしまうその瞬間まで愛し続ければいい。


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「竜二」 川島透監督 [君にMOVIEを!]

見たかった映画を静かに見ました。

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「竜ニ」

Lo-FiさんのBLOG読みましたが、まさにそんな感じ。

映像が流れて5分程で、金子正次に飲まれます。
声も風貌も井出達も。
すべてが次元の違う感じです。

役に溶けるとかそんなもんではなくて。
彼はもはやこの世に存在していない故、
生活の中で、メディアなどで彼をみかけることなど当然無く。

初めて見た俳優であり。
初めて見る俳優ゆえ、潜入観無しに見れるハッキリ言えば、
映画という媒体では、誤魔化しの利かない中で眩く光ります。

少しずつ垣間見せる視線だったり。
獣のような、または突風のような威勢であったり。

ヤクザとかチンピラとかではなく、1人の男としての話で見ると。
こんなに静かに確実に気持ちが沈む場面は、頻繁で。

ヤクザに疲れた男が吐露する先の話。
背中を丸め。
目線を兄貴分にも合わさず、でも背中を押して欲しくて話。

いざカタギになって、似合いもしないスタジャンを着ながら、
平穏な生活を送りながら、徐々に感じる居心地の悪さ。

自分で求めて、期待され。
その期待が背中を支えていたことよりも。
少しずつ膨らむ苛立ち。

渡せない金、救えない友。
堕ちる舎弟に昇る舎弟。
自分の姿が、変わり始め、妻もそれに感づき始める。

大切だったものよりも、自分が曲げられない生き方に気付き始めて。
最後は無言のシーン。

商店街を下る背中は丸まり。
昔の自分におさまっていく。

少しずつ変わる自分に苛立ちをせず、不安だったにも関わらず。
最初に感じた不安は手に入れた瞬間に消え。
元の自分と手にした自分の間で、生き方で揺れる。

ヤクザの世界が単純とは言わないが。
綺麗に物語と葛藤が納まっていくのは、美しいとしか言いようが無い。

目つきも顔つきも違う。
徐々に変化しながら、豹変せずじんわりとその姿が変わっていく。

分岐。
着せられた北公次の衣装とその空気の無さ。
煙草を捨てる仕草まで中途半端な感じ。
成り上がりきれない舎弟の感じが、
より一層、何か竜ニの中で弾ける要因かと思うと、奥深い。

結局、最初から何も得られず、何も失わず。
元の位置に帰る話。

でもそこに溢れる葛藤だとか、その仕草だとかは。
1人の人間として。
凄く胸に突き刺さる。

金子正次が、竜ニが、なぜ未だに愛されるか理由がわかった。
今も昔も、時代が幾ら変わっても、生きる人間の悩みや葛藤は、
そうは変わらないということ。

ショーケンの「ララバイ」がまた染みる。
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「狂い咲きサンダーロード」 石井聰亙 監督 [君にMOVIEを!]

先日、山田辰夫さんが亡くなった。

名脇役とか、渋みがあってだとかの印象だろうけど。
いくら歳を重ねても、魔墓呂死のジンを知ってる以上、
山田辰夫はいつまで経っても、
あの映画のギラギラした熱気を孕んでいて。

内にプスプスと燃焼する炭のような。
直火よりも、危険な空気が広がっていて。
呼吸に必要な酸素まで奪っていく危うさもあった。

時に、温和な「はるちゃん」での役柄を見かけても、
「またまたぁー」と苦笑いしてしまうぐらい、
カタギな感じが妙に似つかわしくなかった。

crazythunderroad.jpg

1980年公開の映画。
本当に鉄砲玉のような後先も考えないで、
その瞬間を爆発しながら突き進む男ジンの、
これ以上無い役柄を山田辰夫がやっていて。

少し足りない感じに喋るのも。
決して、死線をくぐった感じでは無い最初のチンピラの感じから、
「ぶっ殺してやる」と終盤に静かに放つ復讐の決起の瞬間まで。

その空気が変わる感じが十分に感じれる。

行き場とやり場の無い発散と、バイクのスピードの中でしか
実感の涌かない生き方の中で。

チームへの苛立ち。
仲間の裏切りから、新しい組織に組されても、
結局自分にはむかないと、あっさり唾を吐くシーンなど、
「そうだろーそうだろー」と相槌すら打ちたくなるもんで。

そこからのエスカレートする加速は、石井聰亙監督の映画では
当たり前のことなので、この方向は別になんてことはない。

話が異次元にカッ飛ぶ感じと辻褄を合わない、合わせないこの監督の
強引さと、山田辰夫の強引さがとても美しい。

決して丁寧とは言えない話の流れだけれど。
その強引な中でも、ジンだけは、変化しながらその距離を伸ばしていく。

暴れ放題のジンが最後。
泉谷しげる「翼無き野郎ども」をバックに、もがれた手と足で。
噴火口まで爆走するあのラスト。

バイクに跨ってみせたあの笑顔。

気付けば、仲間と馬鹿やってるときでもあんな笑顔のシーンは無かった。
常に眉間にしわを寄せて、荒れ狂う姿の中で。
やっぱりコレと思えるものに抱かれたジンの笑顔は、安息の地を見つけたかのようだった。

喧嘩でも暴力でもなく。
有り余る力の、はけ口を一点に。
そこに注ぎ込みながら、時間の経過を持っても変わらないその本質の中で。
枠組みや社会からあぶれた男に出来ることは、過去の落とし前と自分の意地。

自分の意地を通す方法の、手ほどきまでは無いが。
結局そこでしか生きれないという曖昧ながらの運命。

山田辰夫のギラギラに比べたら。
今の自分は、なんたるぬる湯か!と思うだろうけど。
今更ギラギラなんてと思うボクは歳をとった。
初めて、この映画を時からでさえも。

ただ、ジンはきっと生きていて。
その姿を見たかった。

ジンはどうあって、時間を過ごしたのか?って。
山田辰夫亡き今。
それもまた、想像の域を脱さず。

山田辰夫が逝ってしまっただけじゃない。
魔墓呂死のジンも逝ってしまった。

冥福を祈りつつ。
フィルムの中に焼きついた1人の男の姿が、永遠に残る。
最近はDVD化もされ、レンタル屋でも見つけることが出来る。

でも、そこは薄暗い映像の中で蠢く姿に。
気持ちを細くしながら、自分の気持ちを削ぐのなら、
あえて、VHSで見る趣をオススメします。



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『僕らのミライへ逆回転』 ミシェル・ゴンドリー監督 ほか [君にMOVIEを!]

という訳で。
あらすじはコチラ

知った頃には終わりそうで、予定がつかず。
今か!今かと待ちわびて。

見ました。
「僕らのミライへ逆回転」



結果から言うと、面白い。
娯楽です。滅茶苦茶 THE USA!な感じの。

ただ、色んなとこに色んな伏線を引いておいて。
最後は綺麗に繋がる感じと。
やっぱりジャックブラックが出てくると、素直に面白い感じは、変わらずにステキです。

人気ねぇーだろうと思ってたら、我が町のTSUTAYAでは猛烈な量がありました。
リメイクと言っても、ボクあんま映画しっかり見ないので、
知らない映画も。
と言っても、ロボコップやらの無茶苦茶感を感じれば、それがどのシーンだとかは
さほど重要じゃなく。
いかにその映画をリメイクでもなくパロディでもなく。
本当に小学生の学芸会レベルで、やってる訳で。
ボクにもこんな青春と友達が欲しかったと笑える感じです。

確かにあんなビデオがあったら、レンタルしたい気持ちになります。
バカだもんなぁ。

ただ、想像以上にラストは綺麗で。
タイトルや内容に反して、非常に丁寧で気持ちが篭ってる映画だなと思いました。
何も考えず見てた分、そういう意味では非常に心温まるラストでした。

取り壊しが無くなるみたいな、そういう夢物語ではなく。
現実は現実として、しっかり問題を提起し。
また、アホなとこは思いっきりアホで。
そういうメリハリがしっかりついてた分、余計に油断しました。
あんなんで、著作権殺られないわけないし(笑

非常に面白かったです。
春休みの学生さんあたりが、昼すぎに頭真っ白にして見るのには最適じゃないかな(笑
社会人は、気分転換にどうぞ。花見が始まる前に、そうサクラが咲く前に(笑)

さて、「おくりびと」も見ました。




THE 日本映画ですね。綺麗な景色でした。

山田辰夫が好き。
出てくるだけで、もうドキドキしてしまう。

あとは、峰岸徹。
昨年10月に亡くなられた峰岸徹。
最後にシーンではぶったまげました。
まったく前評判も含め、シャットアウトしてた映画だったので、峰岸徹が出演してただけで。
本当になぜか、感慨深く。
改めて、哀悼の意を捧げる気分でした。

映画の無い内容ですが。
深く深くは突き刺さず。突き立てず。
非常に、上澄みが澄み切った印象でした。

もっともっと時間があれば、葛藤もひらめきも違った角度からも描けただろうし、
更に深かったんじゃないかと思います。
個人的には、さほどという感じです。
色んなエピソードを詰め込まざるを得ない分、時間の経過がどうしてもラフな感じに
なってしまう印象もあったし、続編も十分にイケると思ったりもしました。

ただ、納棺師という職業にスポットを当てたことと。
誰もが、あのように最期を迎えられないであろう、少しの矛盾。
しかしながら、あのように送られる幸せ。

何か違った現実的な気持ちになりました。



もう1本は「容疑者Xの献身」
絶対原作の方が面白いんだろうなと。
そう思わせる内容と。
福山必要か?!と思ってしまう感じの削り方(笑
つまりは、この映画に¥1800を投じることは出来ない。

物語の内容は原作に遠く及ばない感じがしてしまうが、
2時間ドラマな感覚で見れば、実に面白い。

テレビ局が製作すると得てして、丁寧なカメラワークで丁寧な描写をする分、
映画としては、妙に不自然な感じを受ける。
これがドラマ的な印象を強くしてしまうような気持ち。

映画のようなスリリングさは無い。
でも、時々に散ってるパズルを1つ1つ丁寧に組み上げてるような感じがとてもあった。

本では得られない確かな感触。
ただ、映画館で見て面白いとは唸れない。

珍しく話題の映画を見たけど。
確かに「おくりびと」にしても、「容疑者Xの献身」にしても、何も期待していない分、
得るものもさほど無いし、失うものはほとんど無い。

フィルムは滅茶苦茶に期待して、その期待に尺度にどれだけ近づき。
どれだけ上回るか。
こういう偏屈な鑑賞方法のため。
見るときには、DVD3~4本続けてみてしまうようになってしまいました。

ボクにとっては映画は娯楽ではなく、戦いであります。
気軽なものでは無いような気がしてます。
故に、あんま映画見ません(笑

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「ぐるりのこと。」 橋口亮輔監督 [君にMOVIEを!]

何より、この映画の執着で感服するのは、時間の経過。
2時間20分近くの映画の中で、「空白の10年」を埋める。

この空白の10年と言う言葉を知ったのは、オバマ大統領の発言で。
バブル崩壊後、日本の10年を示す。
原爆の空白の10年は周知だったが、これは素直にビックリしたもので。
自分のド真ん中青春が「空白の10年」って(笑)

この空白の10年が、背景。
そこに流れる事件や災害。

しかしこの物語で大切だと思うのは。
「鬱」に対峙したときの、長くの時間。
半年で再び自分と向き合う人もいれば、そうではない人もいる。
その背景の中で、時間のかかった症例。

中途半端で描かず、その過程の混迷を断片的に残しながら物語が進む。
進行してる実感はある。

ボク自身は「うつ」とは無縁だが、ボクの友達には、この病を長く患った友達がいる。
彼女が最も苦しかった時代ではなく、外に出るためのリハビリの過程で、彼女と出逢った。
このあいだの沖縄旅行では彼女も一緒に行ったぐらい。
彼女の周りで、昔彼女が極度のうつ病を患ったことなど、知らない人の方が多いだろう。

その時に感じたことを思い出した。
彼女は、ボクやかみさんと酒を吞んだ。
飲み続けたというニュアンスで間違いないだろう。

「求められている実感があった」と笑ったことがある。
鬱の波で外に出れないときには、携帯の電源を切ってしまう。
現代、携帯の電源1つで社会と完全に遮断されてしまう条理を感じたもので。

決まって、実家に電話して彼女の母が電話に出る。
いいから出してくれ、そして受話器のムコウの彼女に
「さっさと来い」
こう言ったのは、1度や2度ではない。

少しやつれた彼女は、近所の我が家に飲みに来て。
千鳥足で酔っ払って帰った。

誰かの存在、それも少々厚かましいぐらいのものでなければ、
人は誰かに求められてる実感をしないものだと思ったりもする。

愛されてるとか、愛してるとか正直よくわからないのに、
でも誰かに求められたいと思うのは大いなる矛盾。
それでも生きるし、誰かを好きになるし、笑っていたいと思う。

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今回、この映画で主演の木村多江は、日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞を受賞した。

商業映画、ドラマの二番煎じ。
テレビ局のバックアップで成り立つような映画ばかりの中で。
映画は作れて、こんなに素晴らしいフィルムは存在するし、そこで悠然と泳ぐ俳優たちもいる。

鬼気迫る。
メイキングも見たが、凄まじいものだった。
フィルムに中でしか呼吸出来ない俳優をしばしば見るが。
昭和の名優に近い、見ているコッチが息苦しくなるぐらいの表情をする。
木村多江はそんな女優だった。

少ない映画の時間の中でありながら、見えない描かれない時間の経過の
輪郭が十分に感じる演技だったと思う。

安易な映画はセットをふんだんに変えたり、白髪を増やしたり。
視覚的な部分で、時間をまわす。

でも、俳優の演技で回る時間は、映画としての時間を忘れてしまう魔法であり、
違う人格を演じる、底力だと思った。

時間の経過と快方を感じる為にカレンダーというのも、仕掛け。
西暦で見せるんじゃない。カレンダーの書き込みの景色。

見過ごす部分無く、落ちる感じは自らを追い込むギリギリの感じ。
不安定を演じる。もはや自身もギリギリの不安定。
極論、演じると以前に当事者になってしまったら、もはや役もへったくれもない。
完全に「佐藤翔子」だった。

リリー・フランキー演じるカナオは、緊張感の無い感じがこの映画のたわみだと。
橋口監督が、「この人しかいない」というニュアンスがわかる。
この映画の細かい描写は、わかる人にはわかる、そんな優しさが覗く。

詳しくは書かない。
でも、カナオの優しさの細かい部分は、とっても温かい。
ポットも金閣寺もよくわかる。
鼻を舐めるのも、喧嘩の空気を崩すのも。
「愛する」という意味の本質的な部分を橋口監督は理解しているのだと思う。
だからわからないボクでさえ、なんとなく輪郭を感じれたものであります。

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先日、「子供について」という話を地元の先輩としたが、ニュアンスはよくわからなかった。

子供を見て、子供を愛しいと思う。
そして妻を見ると、この子供がいるのはこの妻があってと実感すると。
妻が愛しくなるというのだ。

子供というファインダーを通さないと、妻にたどり着けない実感がよくわからない。

ボクは夫であるが、子供というものが存在しなくても、
現時点で、今を一緒に生きることを契約したような実感が結婚であった。
でもそこには、契約破棄も破産もある。

子供がいなくても、2人で笑って生きていたり。
何年に1度。
支えてもらってるという実感を得られえれば、それで生きていける。

証が無くても。
ただ互いに顔を合わせて、少し労い。少し手を繋ぎ。テーブルで食事をして、SEXもして。
そういう日々の生活の中で実感しにくいものを、無理に実感する必要はない。
決める必要もない。

ボクはカナオほど優しくはない。
妻も翔子ほど、物事を決めない。

ただ、ボクはこの映画を見てとても熱くなるものがあったし、
妻も随分前に映画館に行って見たときに同じような話をしてた。

夫婦と言う証明は、紙切れだけのものであり。
互いが個であり、同体ではない。
ボクは運命共同体という意識は希薄。

しかしながら知らず知らず、支えあう部分が多分に出てくる。
一番話したい相手で、一番話したくない相手でもある。

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トマトを頬張るシーン。

「水やってくれてたんだ。」

この言葉が凄く良かった。
深く暗いトンネルの中、差し込む光が無ければ、
そこが地上からどれくらいの場所なのかもわからない。
左右なのか上下なのか、まったくわからない。

差し込む光は、真っ直ぐ差し込む。
屈折しない。
だから、目指せば地上まで最短距離で歩ける。

意識しなくても、光になってるときもある。
意識して差し込む光もある。

大切なのは、そういう光になれるかどうか。
深く難しい問題。

でもその1つの方法がこの映画の中にあって。

見回す暗い景色の中で、光の存在に気付くことが出来る人は幸せだと。
そう思う。
あとは真っ直ぐ進めばいい。

そしていつか何かの時に、その人の光になればいい。

誰かの光。そして、そこからまた光。
反射を繰り返して、世界がやさしくなればいい。

ぐるり見れる人間へ。
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