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二階堂和美 「HUMMING SWITCH」 [君にREALを!(音楽編)]

久しぶりに新譜を買いました。
下北沢のJETSETにて聴いたんですが、もう・・・・・。

基本、R&Rと言われる8ビートが好きです。
でも視野が狭くなることが嫌なので、色々なものを聴くようにしてます。
「LIVE YOUNG」を始めれたことで、基本「和モノ」にピンポイントになってしまってますが。

ネットの世界は直接ジャケットを手に取れないので、町に出ます。
「書を捨てよ、町へ出よう」ってヤツです。

些細な物に、目を奪われたり。
さほど興味の無かったものが、魅力的に見れたり。
ピンポイントの情報なら、インターネットに勝るものはないでしょう。
しかしながら、常に自分の興味のすべてのアンテナが
ネットのブックマークにあるとしたら、ソイツはおかしい。
そんなに興味なんて少ない訳がない。

ジャケ買いなんて、レコ屋に行かないと出来ないもんね!(笑)

最近、BLOGで出逢った人たちに、凄く刺激を貰って。
大切なものは幾つあってもいいんじゃないかって。
そんな価値観なんて1つじゃなくていいじゃないかなって。
礎は1つですが。
たかが、R&R。
BGMでしかないわけだし。
主張し続けるよりも、柔軟に相手を包めるだけの度量が欲しい(笑

昨日は久しぶりに下北沢に。
免停なんで、自転車で。
自転車で下北沢って酒吞み&ライブハウスに行くぐらいで・・・。
(飲酒運転なんですが・・・ボクはのろのろ運転&灯火してるので、容赦(苦笑))

自転車で昼行ったのって結構近くに住んでる割に初めてだったかも。
暖かくて、心地よいサイクリングで。
一方通行だとか、些細な信号だとか。
んなもん気にせず、スイスイ動けるって凄くいいなぁって思いました。
一番街を自転車で行くって凄いことだなって、思いました。
あそこは一方通行&歩行者天国ゆえ、基本通らない場所なので楽しかった(笑)

ユニオンの近くの古本屋は、はっぴぃえんどが爆音でかかってて。
最高の本屋だった。
本も色々探したけど、何も見つけられず。
ただはっぴぃえんど聴いてただけ(笑

JETSETでBOOT BEATの12インチを買う。
BOOT BEATの「星屑ブギーパーク」。

BOOT BEATも、昨年たまたまユニオンに行って、「MANIFESTO! 2」を衝動的に買って。
これが本当にHAPPY TUNEで。
もう冴えない時間なんか、このCDで埋めちまえばいいじゃねぇーか!と思えるぐらい
ぶっ飛んだMIXCDだったんですが。

そのBOOT BEATの12インチがあったので、即購入。
試聴なんか必要ない最高のDJです。

R&Rは好き過ぎて、思い入れが出ちゃうから最高なんてないけど。
このBOOT BEATの神谷氏だけは・・・・。
女だったら、告ってます、自分、多分。
個人的に、昨年聴いた音というかこの類で。
一瞬で天才!って思いました。
恐ろしいぐらい天才です。
こんな選曲できるようになったら死ぬほど楽しいだろうなと心底思いました。
今でも、凄く好き。

結局欲しかった「JAPANESE CITY POP」のディスクガイドは売ってなくて。
あういう本は、見つけたときに買わないとダメだなって心底思いました。
需要もねぇーだろうし、増刷もなさそうだし。
渋谷の大きな本屋さんかCD屋で探します。

帰りに、須永辰緒がまた新しいことやらかしてたんで、
嫁がティガーを好きなので、せっかくだし「WINNIE THE POOH」のJAZZと言った
小洒落たレコードを買う。
なんやら先行で出てるみたいでしたが、また本気で凄かった。
大人の底力みたいで。

JAZZって大人。
未だに安易に踏めないけど、実は影で色んなBLOGで刺激を貰って、
こっそりレコ屋を覗いてる。
そのうち少しずつ感動=記事みたいに出来たらいいなと思ってます。

そして、今までが前フリ。
今日の1枚!

二階堂和美 「HUMMING SWITCH」
しかも「関白宣言」含むカバーの応酬。
大体、二階堂和美がカバーやるっつって悪いわけがない。

挙句、関白宣言にはYOUR SONG IS GOOD。
危険な匂いがしたので試聴。
瞬殺でした。

さだまさしもまさか、こんな所業になるとは思ってないはず。
だって、さだまさしの辛気臭さまったく無いもの。

人間独特の生臭さとでも言いましょうか。
魚がフライになって、少しスパイシーに。
みたいな心地。
凄いですね。ユアソンの威力。
それでいて、二階堂和美の自力ですよね。

カクバリズムは今、日本でも稀な良質な音楽が出てますね。
嫌になるぐらい丁寧です。
丁寧というのは、信用にも直結すると思います、ボクは。

現行のアルバムで、今は何?!
といわれたら、断然二階堂和美のハミング・スィッチ。

寒い季節だから、より家でゆっくり聴いてたくなります。
ところが、今から仕事なので無念です・・・・・・。


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植田ひとみ 「蜃気楼」 [君にREALを!(音楽編)]

「ジャケ買い」
塩化ビニールな世界にとっては、誰もが一度は通る。
極当たり前な日常で。
宝くじよりは確率が高い(人に依るが・・・・)

ただ冒険出来る値段もまた、個人差があるわけですが。
時々やりたくなる冒険。

個人的には、過去のジャケ買いの戦績は悪くない方だと思うけど。
先日幾つかのレコードをまとめて買いまして。
安かったので。

まぁ、ジャケがボクを呼んだので、抱えて帰りました。
プレイヤーも無いのに、つまりは聴けないのに、バスの中でライナーを眺めたりします。
妻には、そういう行為は彼女の常識的には無いことのようですが、
まるで子供が我慢出来ず、おもちゃのパッケージを開けてしまうようだと笑われます。
そういうドキドキはジャケ買いしたときに限定されることじゃないんですがね(笑)

幾つかの予備知識は、すべて跳ね返され。
情報&視界「0」のまま、買うのは久しぶりでした。

まったくわからない世界のLPには正直、悪夢のような出来事が山のようにあります。
売れないし、売れてもホントにタバコはおろか、缶コーヒーも買えない。
こんなクソレコードは、フリスビーにしかならーん!!みたいなのが。
ただ飛んだとこで、なんの意味も無いんですがね(笑)

長くなりましたが。
今回ジャケ買いで買ったのが、

植田ひとみ 「蜃気楼」

例えば、先ほど宝くじと称しましたが。
1億円クラスです。

音、声、詞、曲。
先に、ハルヲフォンの記事で編曲は天才の仕事だといいましたが、
「山木幸三郎」完璧です。
浅川マキの仕事もしてた方なんですね。
JAZZ畑の人に編曲を任せるって凄い。冒険なのかも。
しかしながら、凄い。
こういうこと歌謡曲・ブルース・ジャズの真ん中。
キワキワの作曲編曲。
決して、緩くせず。緩急の果てのこの重ね方。
丁寧で大胆。

宇崎竜童も作詞・作曲で3曲。
1976年、山口百恵の「横須賀ストーリー」を世の中にDROPしたのがこの年。

この頃の宇崎竜童は、ブギウギバンドの傍ら。
メジャーシーンにおいてもブスブスとその才能をくすませながら、
有り余る天才的なセンスを、商業ベースとアングラベース両方に兼ね備えていた。
正直、こんな男はいない。
彼が最初で最後だと思う。
しかしながら個人的には、ダウンタウンブギウギバンドの「サクセス」前後は、
もはやR&Rではなく、歌謡曲だと認識してるので。今も同じかといわれれば、
まるで違う評価にはなるが。

夏木マリが小西康陽と出会って。
凄まじいアルバムを数枚この世界に落としましたが、
正直、それぐらいのレベル。
音の組み方が瞬間では非常に類似してると感じるけど、
正直このレコードが1976年に世の中に出て。
まったくネームバリューの利かない世界からの産物なのだから、
このレコードの方が個人的には価値はおろか、評価と思い入れは大きい。

石川セリの「気まぐれ」を聴いてて。
そういや、あっちも聞いてみようみたいな感じになり。
レコードに針を落として。
一閃。

「何が起きたかわからなかった」という経験は初めてでした。
知識も期待もしてないレコードから流れてきた音楽が、あまりに凄まじいって。
経験になかったもので。

童貞喪失なんかよりも、数倍もの衝撃でした。
まったく知らず得体の知れないものから、不意な攻撃を受けると、
何が起きたかわからなく、呆然とするんですね、人間(笑)

調べたら、最近再発が出たようで。
「カルナバル」

(下記抜粋)
 和ボッサファンが待ち焦がれた作品が遂にCD化!!(ブリザ・ブラジレイラ掲載)
 和ボッサファンが一番CD化を待望していたのが本作。
 アドニラン・バルボーサ、バーデン・パウエル、ベニート・ヂ・パウラ他の作品を熱唱。
 日本人のサウダージを見事に表現したヴォーカルに加え、伴奏も実に素晴らしい出来。
 聴き込むほどに味の出る作品が満載。
 本作はカフェ & クラブ・ミュージックの定番ディスクガイド『ブリザ・ブラジレイラ』に掲載された、
 ブラジルファン、歌謡曲ファン双方が聴いても納得のできる類い希な作品集!
とのことで。

先ほど下北沢で聴いてまいりましたが。
正直、ボクは「蜃気楼」寄りです。

1曲目の「他人同志のサンバ」は「カルナバル」にも収録されてました。
この歌だけアルバムの流れの中で浮いてた気がするんですが、気のせいですかね(笑

故に、この「蜃気楼」というアルバムはボサノヴァというより、
ブルースに近い感じな気がします。当然JAZZの空気も孕みながら。
ブルースよりも、優しく。
ボサよりも、強引。

その妙な間を堂々進む。
完璧な音。
こういう音を実は結構探してて。
夏木マリ以降の命題だったんですが、夏木マリの前に更に凄いアルバムがあったってことですね。

植田ひとみ
アルバムは2枚のみ。
そうなれば、この世界は簡単に手に入ります。
しかしながら、奥は深く1度聴いたら忘れられなくなります。
常習性があり、かつ万人に溶けます。
こんなアルバムに出会うことはそう無いと思います。

恐るべし、昭和50年代。

名曲「この橋わたれば」
LIVE YOUNGにてお聞かせしたいと思います。


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サニーデイ・サービス「サニーデイ・サービス」 [君にREALを!(音楽編)]

20歳の頃。
ボクは色んな意味でアンテナを高く張り。
色んなものを受容しようと必死だった。

友達が「良い」と言うアーティストは必ず聞いた。
好き嫌いせずなんでも。
そうやって掠ったり、横目に通ったり、
そうやって自分の価値観を膨らまして過ごした。

そんな中の1つに「サニーデイ・サービス」があった。
当時のボクは「はっぴぃえんど」も知らなかったし、
柔らかくそれでいて優しく。
ゆっくり灯るような音を欲っしてなかったこともあり、琴線には響かず。

アルバムの数枚所持後。
名前のみを残して微かに。
時々嗅ぐ程度に聞き鳴らした声と音の行方。

1999年ライジングサンロックフェスティバル。
石狩の帳が下り。
華やかに1ステージで繰り広げられた夏の北夜。

深夜のギターウルフの攻勢。
スーパーカーの眩宵。
ブラッドサースティーブッチャーズの美響。

朝焼けが空気を染め出した頃。
ボクらは、この最後の晩餐たる演奏を聞きに。
定位置を立った。

深夜の饗宴に参加しなかった睡夢の世界の住人たちは、
サニーデイの音を目覚まし代わりに身体を起こす。

ボクはサニーデイサービスを教えてくれた友達の傍ら。
ようやく朝の景色。

ボクは東京。彼は青森から。
石狩にて落ち合えた実感を噛みながら。
曽我部恵一の声とやわらかな音に。

そしてRISING SUNの光を浴びながら、
「恋におちたら」を聞いた。

あまりの美しさに、震えるぐらい。
朝焼けの景色にあまりに美しく溶けるコーヒーのミルクのように。

あまり生きている実感と幸せを感じたことはないが。
このFESだけは、その2つを感じた稀な空間だったことは、
ボクの人生に刻んである。

この日の終演をサニーデイサービスに委ねたことを、心から感謝したぐらい。
そして、ボクらはあまりの光景にその場の寒さに紛れて。
煙草を吸い込んだ。

飲み干したBEERのアルコール血中に。
タバコの煙が混じる瞬間を実感しながら。
昇る朝日に透いてでる血管の躍動を感じ。
僕らの至福の時間ははねた。
時間が経ち。
サニーデイサービスのワンマンを覗かず。
ボクは、ボクの時間を過ごした。
そうやって、過ごした時間の中にもSUNNY DAY SERVICEは
少しあの朝の景色以来、特別な名前の音楽になった。

ボクの友達のカワクボは。
ギターを持つと、サニーデイサービスの「枯れ葉」を唄う。
彼の「枯れ葉」は、実にゆるりとして。
ボクはすごくそれを覚えている。

その枯れ葉が収録されているアルバムが「サニーデイサービス」
今年はこのアルバムのリリース10年にあたる。

今回、不慮でボクにチケットが廻ってきた。
彼女には、申し訳ないがこれもまたボクには巡ってきた幸福なのかもしれない。
表裏な感じで、ボクには申し訳なさが残る。
しかしながら、明日ボクは99年以来の曽我部恵一と会う。

九段会館という極上の場所での再会にて。

こんなことでもなければ、再会はなかったと思うから。
不謹慎でありながら、ありがとうを伝えます。
楽しんできます。

明日は、このアルバムのANNIVERSARYとして、このアルバムが全曲演奏されます。
懐かしい恋人に会う心地です。
今夜は、少しサニーデイ・サービスを聞きながら。

まるで昔の恋人の写真を眺めるように。


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CHARA 「ボクのことをしって」 [君にREALを!(音楽編)]

飽きずにずっと聞いている。
もの悲しい歌な訳だけれど。
少し前を向く気になるのは、なんでなのか?なんて紐はとかない。

先日TOKIONを買って。
高橋盾の特集も読んだが、扉の小泉今日子とYOUそして令子さんの対談は、
静かに熱を帯びてる気がした。

僕らの時代に輝いていた女性たちが、40を越える。
40を越えて、その魅力が更に違うベクトルで輝いてる異性を感じると、
なんとなく自分の年齢が増すことに脅威を感じなくなる。
その人たちが「SPECIAL」な存在であると理解していても。
このCHARA然り。
今も尚、恋の歌が響く。

元来アンチクリスマスというか、クリスマスに魅力を感じないし、
そこに重きを置く女性に魅力を感じない性格故。
街の浮遊感と裏腹に、自分の気持ちは大晦日に向かっている。
今回のCHARAは満を持して、クリスマスソングにきよしこの夜。
カップリングの影響か、「ボクのことをしって」でさえ、この12月の景色に静かに溶ける。
ジャケットのチカラも多分に影響があるのかもしれない。

POPな感じでは無いし、著名な人間の仕事でもない。
ただ、のんびり聞いてるうちに吸い込まれるような。
そんな楽曲は、師走の喧騒を曖昧な空気にしてくれてる気がして。
少しだけ、余裕が出る。

なんとなく、ライブを気にしてしまうけど。
前回行ったAXが本当に良かったのと
それがDVDになったおかげで。
満たされた気持ちを、かき消されないように。
やはりしばらくは、足を止める。

幾度のCHARAのキャリアの中で見たライブの中では、本当に素晴らしいものだった
今CHARAはまた高く上がっている。
これからいつかの季節で響く彼女の声に懐かしさ以上の興奮があったなら。
それが長く続くなら。

ボクはまた違う世界にいても、ボクが感じる意味は変わらない。
CHARAはいつのまにか、ボクのなにかしらのベクトルになっている気がする。


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ヘドバとダビデ 「ナオミの夢」 [君にREALを!(音楽編)]

先日、ダラダラとBLOGを徘徊してたら、飛び込んできた1枚。

聞きたいなと想いつつ、忘れかけてたEPって山ほどあって。
欲しい曲、気になった曲メモが必要じゃねぇーの?
って純粋に感じたりしてますが、マメじゃないので無理でございます。

そんなことを気づかせてくれたのが、ションさんの「音のある生活」
もうあのBLOGの写真見て、恋する乙女状態になりました。

久しぶりの昭和歌謡。
いずれにせよ、「ヘドバとダビデ」という名前すら曖昧でしたが、
やっぱりこの曲素晴らしかった。
もともとヘブライ語の曲に、来日に合わせて強引に1週間で日本語の歌詞をつけて、
そんで練習させた挙げ句、強引に歌わせるという無理な企画(笑

それでも、あやふやな日本語。
意味も把握出来てないだろう日本語をメロディーに乗せて。
おおらかに。
その独特のリズムといい、バッチリな歌謡曲ティスト挙げ句、一発花火の大胆さ。

久しぶりに針を落とした後、興奮しました(笑)
ションさんのとこで、「キャンディーズ」と書いてしまいましたが、ザ・ピーナッツの間違いで(笑)

ザ・ピーナッツも、垂涎の歌謡曲友達のBARのマスターにせっつき、頂きました。
オリジナルより回転数が早く、軽快さが増して疾走状態ですね(笑)
しかしながら、ピーナッツのこのカバーの応酬CDありがとうございます。

それにしても、こういうアイドル全盛にたどり着く前の。
沈みかけの歌謡曲って素敵。
今の時代にもきっと似たようなものがある気がしますが、
現代の商業ベースより、さらに商業ベースのこのEPたちが回転してしまえば、
今でも通じる胡散臭さと一瞬に光るまばゆさが体感出来るはず。

にしても素晴らしい「ナオミの夢」


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PSYCHOTIC REACTION 「THE LIGHT SLEEPER」 [君にREALを!(音楽編)]

色々想うことや、モヤモヤがあって。
普段あまり悩んだりしないんだけど、内在的には猛烈な葛藤が存在してる。
仕事のことなんですけどね。

もはや、どうにもならないし。
積み上げたものが崩壊しても、そこに残る人間関係のチェインの本質など、
自分の評価を自分で出来ないように、他者の評価、それも上司の評価が1つ筋になるわけで。
組織の中では。

自分に甘いなど想ったことはない。
厳しいとも想わないけど。

じゃぁ、その評価を覆す為だけの努力を秘めて、仕事に取り組むなど性格的に出来ないし。
潜在的にあるSELFISHな今までのスタンスを覆していく必要があるわけで。
でも何より、自分の今の立場をひっくり返そうと想った。

所詮、これだけの評価でしかないんだなと想った事実は。
上だけではなく、下からもその程度の評価でしかないのなら、僕は潜ることを選択する。
事実上、潜らざるを得ないだろう。誰が言おうと。
主張せず、守らず、攻めず、潜行した上で周りのことだけの為に。
「黒子」的役割かな。

今までこんなこと書かなかったけど、宣誓文みたいな感じで留めておきたいから、
あえてここに書く。

信用を回復するだとか、組織を良くするだとかじゃなくて。
自分のミスを責められないような、そんな意識を持たせた自分の今までの振る舞いを悔やむ。

同僚が好きだから、同僚からの評価を気にしていくのも悪くない。
これ以上何が出来るかわからないけど、それでもやろう。
僕は、そういう人間として。
社会を泳ごうと選択し、この文章と心を整理する。

昨日からの僕は随分違う自分を選択した。
そんな翌日の乾いた涼やかな風と朝が晴れていたことに救いを感じながら。

部屋には、「サイコティックリアクション」
いつだか、こんなことを想ったと指標になればいい。
そういう風に、輝きを想えればいい。

普段の自分まですべてを変革する気はない。
でも、朝ドアを開けて。
違う自分に武装して、あの扉をくぐろう。

歌詞の内容は今の僕に合致しない。
そんなことは知っている。
でも流れてくるメロディーと反比例した言葉は、刃と牙を剥いて。
僕に突きつける。
それも、鋭く。

逆に、組織に呑まれたり。
色が変わったりすることを何より嫌った。
反逆者のつもりだった。
でもつもりだった。

万人の評価は必要ない。
このアルバムもきっと同じ。
でも、自分の中にこのアルバムにひらめきを感じた価値観は残しておきたい。

このバンドに限っては、いつか大きな会場の中。
タイムボムレコードから波及したこの大きな波として。
日本を呑み込んでくれればいい。

大きくなったなと笑いたい。
そういう可能性も感じたりする。
そういう音だったりもする。

今の僕にはそういう音の方が、心に置きやすいのかもしれない。

このアルバムと出会ったことが運命だったんだなと。
いつかそう思える日がくればいい。
違うバンドのアルバムを買いに行き。
衝動的に惹き付けられたこのバンドの音が。
運命だったんだなって。


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KREVA 「くればいいのに feat.草野マサムネ from SPITZ 」 [君にREALを!(音楽編)]

日常の言葉を硬化せず、話すのと同じ調子で音として聴くのならば、
至極、RAPの範疇は図抜けている。

1小節に詰まる言葉の密度。
トラックの中の流々と溢れ出る言葉に、確実に存在するリズム。

これが8ビートならば、1つのフレーズがピストルのような。
そんな必殺の言葉を用いて、そこに流れる空間を瞬殺するはず。

ジワジワ流れる言葉の応酬。
無呼吸の中に感じる、意識の朦朧。
最近、ふとしたタイミングで「KICK THE CAN CREW」のマイブームがやってきた(笑
基本HIPHOPやRAPに関して、愛を感じない僕が妙なタイミングで聞いた
彼らの曲に少し興奮を覚えてしまったのです。

一時代を築いた彼らを知らないわけじゃなかったから、
どんなアルバムがあるか程度は、中古のレコ屋を見てなんとなくは知ってたけど。
むしろ「LITTLE」に関しては、声の調子だとかが好みだったりして・・・・。

そんなことを繰り返してたタイミングにドンピシャで出たのが
「くればいいのに feat.草野マサムネ from SPITZ (Single Edit)」

数年前のLITTLE×トータス松本とは少し違う空気
別モノのアーティストなわけだから、そりゃそうなんだけど。
このLITTLEの時は、随分LITTLEがトータス側に合わせる形で作った音な感じがして、
「R&R」の中に溢れるMCの脅威を感じたわけで。

僕には1つの分岐で。

ある種色んな音楽が氾濫する日本において、このホンモノ同士の異ジャンルでの
コラボレートというのは、曲の秀逸が生まれた時点で新しい世界がそこに誕生するのではないか?
という、期待感が膨らんだもので。

そんなことを考えていた自分に下りてきたのが、「草野マサムネ」
今回は、間違いなくマサムネがKREVAに合わせる形。
KREVAの声の合間に、あの優しい声が包むのではなく突き抜けて拡張していく世界。
その回りをKREVAが泡のように言葉を包みながら。
妙な浮遊感が泡が弾ける感じで、それもまた普段の音楽から聞けば新鮮。

そんな1小節の優しさと言葉の泡の塗れあい。
それも単純な恋のうた。
「あなたがくればいいのに」

好きな娘に、「あなたがくればいいのに」って思えても。
口にはなかなか出せない。
きっと。
なんとなく、自分が足を向けるべきかなという些細な義務感。
そこに存在する自分の時間の喧騒。
容易に向かうことが出来ない距離。

きっと夜空に、「くればいいのに」ってそんな気持ちを投げるそんな風景が見えてくるから。
そんなことを妄想したら、妙な幻想を感じてしまう。


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Sugar Soul feat Kenji(Dragon Ash ) 「Garden」 [君にREALを!(音楽編)]

22歳の時分において。
最高の結婚式での賛美歌だと想った。

僕はこのトラックを、「大学卒業の皆の思い出に・・・」と作った
友達10数人、それぞれがセレクトしたCDの中置いた。

数多の音楽を聴いているけど、その時最良だと想ったものを。
それを覆らないようにしたいという想いもあったし、
単純に、他のJ-POPにまみれてしまわないものだ。とそう信じれたから。

週末、「愛の庭」に。
金沢まで足を向けた結婚の宴への出席は、恩を出席という形で返すため。

6月16日、この祝言をあげた彼女。
慣習色濃く残る、それぞれの地域での必然。
新婦側に、「男子」が列席するのも、またタブーというか常識的には列席しないと、
随分昔から聞いていたのだけど、僕らはあの場所に招かれた。

僕らの結婚式、遠方という理由で彼女には、招待状を出さなかった。
ただそれは、無用な気遣いで彼女に何の気なしに「来る?」と聞いたら「行く!」と彼女は即答した。
それも本当に、式の2週間ほど前の話だった。
彼女は、遠く石川から僕らの式に出席してくれた。

しばしば、遠方での結婚式には、仕事の都合だとか、家庭の事情だとか、
安易な理由が付けば、その参加を丁重に断ることが出来る。
僕は、自分の結婚式に出てもらったならば、やはり相手の結婚式には行きたいし、
逆に招待されたなら、極力断らず列席をするようにとそれを一番に想っている。

僕が好きな女の子の友達には、
生涯一度だけ魅せる晴れ姿の、美しい姿をやっぱり眺めておきたいと想うわけです。

彼女たちの結婚式は、「家」と家」の結婚だとの想像はやはり的中したし。
絢爛を極め、出席者の名前には名だたる政治家・行政の長・有力企業の役員の名前が並び。
多くの会社関係者列席の下。
高砂の絢爛に負けない参加者の名前もまた豪華だったのかもしれないけど。

僕にとっては、そんな道端のたんぽぽ程度の有名さなんて、必要なく。
テーブルを彩った花々の美しさに負けず、
なにより花嫁の美しさにただただ、じいさんのように笑ってしまったわけです。

その式が静かに、そして確実にお金がかかっていることが、理解出来ていても。
いやらしくなく、決して質素ではなく。
それでいても実に慎ましやかな、2人が凛として。
笑顔の絶えない2人の表情が実に晴れやかで。

僕らは、この場に来る東京~金沢までの、7時間の車での道のりだとか。
そんなことがなんの苦労にならない、瞬間の多さに。

金の泡の蒸発するスピード早く。
愉快な時間の中に咲く、優雅があまりに美しく。

僕みたいにわがままで自分のことしか考えない男には、
かのような素晴らしい家と家を橋渡すような、そんな優しさは生まれないだろうし。
彼女の人柄と、彼の優しさをふんだんの感じる事が出来る素晴らしい結婚式でした。

絢爛に咲く花も、元々は、大地に根ざす花で。

それを植え替え、ありがたがるから。
その花が高貴に感じるのかもしれないけど。
もともと、僕らの近くに咲く花だったのだから。
その美しさと微笑みに、いつもの彼女を僕らは感じながら。
終宴までの時間を、味わい。

彼女に贈った、僕ら大学時代の親友の挨拶も至極、素直な言葉が心地よかった。
僕らが抱く祝福の言葉の断片は、そこに宿っていたから。
彼女の挨拶は、薄っぺらな挨拶とか祝辞とかと違って。
歓喜の花を散らす優しいものだった。

そして、新婦の手紙は当然力強く。
それでいて、後悔や自責を踏みながらも。
これから歩む人生の道程を強く共感出来るものだった。

旦那様のこれからの職業人、経営人としての良き伴侶として。
きっと生涯歩み続けるだろうとそう感じる。

そして、その手紙を読み言葉に詰まる旦那さんもまた、妻と同じように涙を流し。
言葉に詰まらない親への感謝の手紙ならば、誰が読んでも同じなわけで。

一番隣りにいる大切な人が、自分の想いを共感・痛感してもらうことは、
なにより嬉しいと想うし、それが当たり前だと。
そう思えたら、それは凄く幸せなことだと想う。

新郎の涙の無い結婚披露宴など、僕にとっては芝居のように思えてしまい。
今生の別れでなくても、流す幸せの涙は、愛の庭に落ち。
それが、新しい感情や、妻との契り、これから生まれる命の礎になるはずだから。

幸せの披露ではなく。
時に前に、時に立ち止まりながら。
2人がこれから歩む、創り上げる、奏でる時間空間の全てを祝福し。

未だ小さい種は、芽となり、花となり、幹になる。
それの連鎖の継続たる、愛の庭の創生。

僕らは、その美しい庭になる種を貰い。
彼女と彼の幸せを、少しばかり貰い。
僕らの庭にまた、1つ種を蒔く。
そうやって、互いの気持ちと関係を連鎖させていくのが、これからの僕らの在り方。

式の最後。
全ての参加者を包み込むような「GARDEN」の美しさに。
思わず、感情がこぼれないように天井を仰いだ。


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くるり 「赤い電車」 [君にREALを!(音楽編)]

僕の28年の時間。

色んな時間があったけど。
僕には、「赤い電車」の時間の4年間があって。

この間も、大学時代の友達と「ZEPP TOKYO」からのライブの帰り道。
「あんな遠くからよく出かけてたな・・・」なんて笑ってしまうくらい。
あの頃は赤坂ブリッツが僕らの世界の真ん中だったのかな・・・。

18の時に、埼玉からアパートを探しに金沢文庫に来て。
京浜急行の金沢文庫の駅から見えた僕のアパートは広くて。
床屋さんの裏でした。

僕の今想っても無茶苦茶で強引な生活のほとんどは、あの部屋にあって。
自由満載の城での4年間の生活は、不自由の存在しない自由で。

僕の性格上、本当に「文句上等」の生活の中。
苦情も受けたし、大家さんにもえんれぇ怒られたけど。僕は遊び倒したわけです。
家賃滞納して、とうちゃんにどえらい怒られたこともあったわな。

「金沢文庫」って、何も無いんです。
遊ぶとこが無いから、学校か家かバイトか。
時々、潮干狩りか海の公園。

山の上にある学校には、ほとんどサボらず。
山の上の学校で授業を受けて、授業が終わると山を降りて。

バイトして、酒呑んで。
酒呑んだら、学校行って。
学校行ったら、授業受けて。の繰り返し。

あの頃バイトしてた居酒屋も無くなってしまったし。
大好きだった上大岡の「赤い風船ボーリングクラブ」も、随分と様変わりしたし。
赤い風船の「ぴあ」に散々並んだ時代も、今やインターネットにとって変わったし。

酒を飲み倒した僕の部屋は今どうなってるんだろう。
僕以上に、遊んだヤツなんかいないよ、あの部屋じゃ。
というか、「我が人生最悪の時」と言えるわね。
消費者金融にお世話になるくらいキワキワの金の使い方に今も苦労してる。
奨学金が奨学金じゃなかったもんな。

1階の部屋。2部屋しかない1部屋。
部屋の前は勝手に自分の庭みたいにしちゃって。
外にイス出して呑んだりね。
家の隣りは大家さん。
大家さんの家の前を通って。
谷津川に下っては、酒呑んで吐捨して川に流して。ボラがそれ食って大きくなって。
食物連鎖。

そんなことを繰り返して。
授業の思い出よりも遊んだことばっかりだったもんな。
東京の学校行ってたら、あんなこと無かっただろうし。

「ファソラシドレミファソー」って、朝聴こえるんだ。
快速特急だけが歌う唄を。

そんな時間の果て。
あれから時間が経ったけど。
大好きだった横須賀のあの娘は結婚しちゃってさ。

今でも大好きな真上に大輪が開く。
米軍基地の中で見る横須賀の花火大会には、赤い電車で汐入まで。
汐入で彼女と待ち合わせ。
僕が今までの一生で、一番刺激を貰ったあの京急長沢も、赤い電車。

そんな赤い電車には、今度いつ乗ろうか。
大好きなあの娘の家に遊びに行こうか。そんな気軽には行けないけど。

いつか、あの娘を送った駅。
あの娘は赤い電車を乗り捨てて、留学先のアメリカに行ったんだった。
京急大津駅を覚えてるよ。

あの頃から7年。
人生の流れの中。金沢文庫を乗り継いで。

大好きだったあの娘は、僕の奥さんになりました。

赤い電車に乗って。
赤い電車に揺られて。
夜勤明けの眠い目をこすりながら、能見台を抜けると僕の街でした。

「くるり」の赤い電車より、あの頃「バタヤン」が歌ってた自作の「赤い電車」が好きでした。


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弘田三枝子 「JAPANESE GRAFFITI 20」 [君にREALを!(音楽編)]

昭和の時代。
欧米の羨望へは英詩を、少し解釈を曲げながら日本語に意訳し、
さもそれがオリジナルのような手法を用い、歌謡曲として民衆へと注いだ。

そのPOPな楽曲にのせて、その欧米への憧れのスタイルを感じる
「入り口」的な役割をしたりするわけですが。
本来英詩なものを和訳するという、今では考えられないカバーの手法は、
やはり、違和感になってしまうものであったり、聞きなれた英語など、
オリジナルの言語の楽曲から比較すると、チープなものになってしまうはずなのに。

昭和の歌姫というのは、低音を自由自在に操りながら、
その対照で、高音を更にしなやかに伸びやかにする才能に長けていると聞くたび思うのです。

その楽曲の秀逸は、世界ヒットなクラスの訳ですが。
今の時代にもその空気がヒリヒリするのは、結局それが懐メロであろうが、日本語で。
どこかで聴いたメロディーだからだとそう感じたりするのです。
曖昧な歌詞・曲の記憶は、カバーを聞いいても自然とよいものであれば、
心躍る心地。

グループサウンズに魅せられて、一時期寝ても覚めても
「GS!!」みたいな時期がありました。
あの雷みたいなギターが変幻自在に凹凸を作るもんだから、
その昭和にしか存在しない歌詞やキラキラ感が心に落雷を落として。

そうこうしてたら、歌謡曲に引きずり込まれ。
気付いたらやっぱり「弘田三枝子」にぶつかるわけです。

正直、今の活動にはさして興味もないし、なかなか昔のレコードの再発もない。
再発しても、やはり安易にバカバカ買える金額での再発にならないのが口惜しいですが。
やはり、弘田三枝子はレコードで聞きたいのが、常なわけで、
そうするとべらぼうな金額でしかお会いできず。

そんな中で出会ったこのカバーアルバムだったわけですが。
もう何が凄いって、当たり前なんですが「歌が上手い」
それも常軌を逸してるくらいの、グルーヴしながらロールして放つ。

脳味噌がシェイクしてくれるくらいの、ちょっとしたダンスパーティが起こってしまうような(笑

メリハリがあるのが、凄くて。
それも振り下ろすスピードの速さ。
突き上げるスピードの速さ。
その蠕動運動が素晴らしいくらいのうねりを作るわけで。

R&B時代の昨今に、これほどまでにROLLさせることが出来る女性の歌い手など皆無で。
この類の音楽が認知されていない現代では錯誤かもしれないけど。
昭和の輝きとしてこの声、この楽曲が残るなら、それもまた趣きなのかもしれません。
懐メロなんて言葉で済ませるレベルには、存在しないと実感できる33回転。

この声を聴いたらこの張りを聴いたら、簡単に平成の女性歌手を愛せません。
昭和の真ん中。
人々が音楽を渇望した時間。
人々の音楽へのベクトルが高かった時間の存在というのは、
その時代と括りが出来るほど、音楽の文化の密度が高い。

日本にとっての暗黒期はなく、どの時代においても瞬間の煌きであろうが、
永遠の光線であろうが、素晴らしい音楽が存在すると思うから、
安易にこの時代はダメとは言えない。

そんなことを思いながら、何年代とか関係なく
和モノのレコードを端から端まで漁ってしまうのでした・・・・(笑


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