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SION 「燦燦と」 [君にR&Rを!(日本)]

母親が病気と知ったときのことは、今でも忘れられない。

あの日の当時住んでいた部屋の景色も。
見上げた天井の高低も。
障子の先から射し込む光が、すべてを照らすグラウンドも。

押し寄せる感情の怒涛と。
母親を喪失してしまうという強い可能性が。
堤防を越え、ボクの自我を飲み込んだことも。

あれから、約5年。
母親に残された時間は、凛々子のランドセルまで無い。

病との時間の中で。
沢山のことがありすぎて。
何か本当は美徳として失ってはいけない母への感情が薄くなってしまったことや。
人生の中で、最悪な事態を想定するあまり。
色んな事象を客観的に見てしまうようになったり。

この時間の中で、ボクが人として得たものは本当に大きいけれど。
息子として失ってしまったものはそれ以上に大きい。

母が重病と分かった日。
妻になった彼女は、大阪に遠征に出ていた。
ボクは彼女がいない時間、去来する痛切を耐え切れず。
泣き続けた。

何をしても、どうしても気持ちを抑えきれずに、
ただただ泣いた。

3日間そんなことを繰り返して。
1つ山を越えた。
気持ちが1つ堤防を越えた。
その瞬間は覚えていない。

ただ母親の顔が見れなかったし、病院に行くのが堪らなく嫌だった。

そこからの時間で、ボクの気持ちは蜂が巣を作るように。
少しずつ少しずつ牙城を築いた。

環七から北本通り。
122から産業道路。

いつもSIONを聞いていた。
正確にはSIONしか聞けなかった。

自分の感情を押さえ込むには、自分自身でやるしかない。
誰かに話してその場を花火のようにくぐりぬけても。
1人になれば、またやってくる最悪に立ち向かえない。

だから、自分が向き合って戦っているときには、
SIONしか聞けなかった。

気持ちを紛らわしても、最悪とは戦えない。
音楽じゃなくて、言葉が欲しかったんだと。
そう想う。

SIONに大丈夫だと言って欲しかった。
SIONで沢山助けられた。
SIONだけが、ボクを味方し、ボクを励ましてくれた。

SIONじゃない。
きっと、SIONを好きな最も信頼できる自分の中の自分が、
ボクをきっと心の和平まで連れて行ってくれるはずと。

存分にその自分を信頼し、そこに到達できるはずと自分を嗜めた。

SIONが放った言葉の1つ1つは、ボクを最悪から導く
蜘蛛の糸のように、細く長く続いてくれた。

あれから、ボクは夫となり父になった。

母親にも手紙を書いた。
ボクは僕の中で、すべてを消化し。
後悔をしないように、母親を愛した。
それはボクの範疇の中であるのだけれど。

ボクは母親に、「ボクを後悔させて欲しい」と伝えた。
母親は軽口で返したが、僕にはそれ以上贈る言葉の見当たらない、
これから終わりまで、母親が息子のボクにして欲しいことすべてだった。

偉そうに聞こえるかもしれないが、
詳しく内容は書かないし、書く必要もない。

誰かに見せるこのクソ広いインターネットの世界で、
わざわざ書くような話でもない。
じゃぁなぜ書くのかといわれれば、今の気持ちを単純に留めるから。

こんな客観的になっても、SIONを聞けば。
どこか母を想いだし、あの頃辿りつけそうにもなかった今のこの感情に、
何か言葉に出来ないモヤモヤがやってくる。

冷静になりすぎた自分に嫌気を感じながら、
自分がどう生きるべきなのか考える。

やっぱり傍らにはSIONがある。

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「燦燦と」 自分の胸は自分ではうまく温められない

こんな曲を5年前に聴いていたら、ボクは今のボクとは違ったかもしれないと、
そう思える少しだけ残った温かな気持ちを、今はなかなか表出できない
母親に渡すことができるような気がする。

あの頃、ボクは「もうダメだ」とそれだけは言わない、
考えないで生きてきたから。
今のこの感情を、誰かに理解して欲しかったり、感じて欲しいとも
そう想わないようしていたから。
きっと本当は違っていたのかもしれない。

選択肢を作らず、1つだけ。前にだけと。

本当に苦しい時間だった。

母親が死ぬことを受け入れることに比べれば、
日常の多くの悩みなんて考えるにも値しない。

あれ以上の最悪は無い。
心を強く持てる今は、現実とでもきっと向き合える。
そうやって戦ってきて、今のボクがある。




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