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moe絵本フェスティバル @渋谷パルコファクトリー [君にARTを!]

大人向け絵本雑誌「moe」
なんも知らない人ならば、少しドキッとするでしょうよ(笑

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先日、この雑誌「moe」の絵本フェスティバルに足を運ぶ。
特に行きたいと熱望したわけでは無いが。
娘と気軽な時間を過ごすには、悪くない選択肢だったわけで。

個人的には、このパルコファクトリーは好きなので、
こじんまりさも。大きさも。

前にも書いたけれど。
もはや様々な経験と先入観がある以上。
大人が絵本を読むのは、困難が多すぎる。
単純に楽しめないのが理由で。
深読みしてしまうのが常だからだと思う。

柔らかな光が差し込んでも。
そこに存在する虚無感まで深読みしてしまうから、意地汚い。

ただ今回、少し耳にした程度の最近のビッグニュースというか。
加藤久仁生の『つみきのいえ』の断片を知ることが出来たのは
大きな収穫だった。

正直ファンシーさには、見向きもしたくない。
世の中は汚いし、その汚い川を泳ぐ我々は清流の中に
いるという錯覚を欲しながら生きている。
そういう感覚に蝕まれるボクには、眩しい世界な気がしていた。

実際そういう世界は多くあって。
ボイジャーくんの原画の中に、何か黒く渦巻く部分に
純粋さよりも、飲み込まれない必死さを投影してしまうような。

娘も細やかな描写よりも大味な絵が好きな。
まるでメリケンさんな感覚で、ホッケーと眺めていた。

ボクも「つみきのいえ」の原画をホッケーと見ては。
出口に行き。
なんかまた戻るなんてことを何度か繰り返した。
そこか浅井健一な匂いもあるが。
決して特別な世界じゃなくて。
その発想の豊かさというか。
それはまた次の記事で書きたいとこです。

このmoeの絵本フェスティバル。
2月8日までとのこと。
300円で見れるのなら安いものですが。
わざわざこのために行くには物足りないかも(笑

故に、何かのついでに行くと、
儲けた気分にはなれます。

沢山絵本を読むようにしています。
音楽と同じで味わい深いものです。

自分の価値観にはまる世界は、
きっと色んな場所にあるんだろうなという気持ちになれます。




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VERNER PANTON展 @オペラシティアートギャラリー [君にARTを!]

ある休日に、初台にあるオペラシティギャラリーに足を向けて。
それが月曜日だったもので、休館日・・・・・。

現在、オペラシティギャラリーでは「ヴェルナー・パントン展」が会期。

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パントンのその独創的で試行錯誤しつつも、見たことも無い造形が。
生活に必要な家具デザインに繋がる過程を知れる貴重な時間でした。

パントン=チェアなイメージも十分に。

原色をパズルのように組み合わせて。
はめ込み、形をそぎ落とし必要な部分も極限まで削ぐかと思いきや、
徹底的な無駄を大胆に残したりと。

「我が家にコレを!」と思っても。

浮いてしまうものばかり。
トータルコーディネイトでないと手に負えないようなアバンギャルド。
大胆すぎるデザイン。

我が家のパントンチェアでさえもギリギリ。
一般庶民には、パントンチェアでギリギリじゃねぇーの?と思わされます。

たった1つの照明器具ではその部屋を、
奇怪にそして妖艶には浮かぶ宇宙船のようには出来ない。

幾つも反復し。
繰り返し同じものを重ねることで、
居住空間を異空間に変える眩さが表出するんだと思います。

統一することで、異空間へ。
1つだけではそのアクを押さえ込むことが出来ない印象。

でも機能性を失わず。
最短距離と、そのプラスチックの反射の柔らかさの計算。
また無機質が温かみを持つ魔法のような照明器具。

火を灯す強さと柔らかさを擬似しつつも、その印象はきわどく。
またハッとさせられるものばかりで。
それは平面デザインにも直結する。

凄まじい美意識です。
故に、非日常を感じられます。

でも、何か近くに感じるのは、部屋にコレがあったら・・・・と想像して。
コレならいけるかもなと勝手に判断できるぐらいの幅があるからだと思います。

娘が一緒に行きましたが、一度もグズることなく。
吊られるフラワーポットが眼球に綺麗に映っていました。
色がハッキリしてる分、絵本を見るような感覚で、キョロキョロしながら、
時に吸い込まれていました。

ファンタジー・ランドスケープでは、更に体感も出来。
変わる色のトンネルに時々あくびもしていましたが(笑)

家具のみならず、ドローイングも凄く興味深く。
作品の完成過程を覗くことも出来ました。

VERNER PATONの世界に娘も静かに、キョロキョロしてたことが、
実はパントンの作品よりも、衝撃というか。

小さい子どもでも十分に興味を掴む飽きさせない世界でした。
初台という近くにこのようなギャラリーは、貴重。
初台自体も駅の上にオペラシティなので、交通の便もとても良いです。

にしても、オッシャレな人が多かったな(笑)さすが。

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個展 忌野清志郎の世界 @ラフォーレ原宿 [君にARTを!]

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蝉の残響が、微かに残る週末。
原宿ラフォーレでの最終日。

忌野清志郎の世界。

清志郎が逝ってから、清志郎を取り巻く環境はめまぐるしく。
作品集や追悼にあたっての雑誌など。
その影響の大きさを改めて実感する時間が流れている。

悪く言えば、生きてるうちに起こらない評価に、
何か煮え切らない部分があることも否定はしない。

しかしながら、彼の軌跡を見る機会があるのは、
レコードを聴くこと以上に刺激的だし。
「百聞は一見にしかず」という感じにも近いのかもしれない。

ラフォーレは、「kitson」が店舗をオープンさせ。
また変わらず、H&MやFOREVER21に加えて、花畑牧場の影響で。
あの明治通りを歩くイライラ感といったら無い。

挙句、kitsonのラフォーレ入り口の混雑もまた然り。
足早に流行の流れを無視して。5階。
階段を上がり6階から。

所望した世界が広がる。
コアなRCファンの部屋に来たかのような気分になる
ポスターやレコードの展示。
年始にアングラ演劇のポスター展も見たけれど。
80年代のバンドのポスターはどこかサイケな部分とニューウェーブな部分が
入り混じり、なんとも言えない味がある。

それがRCなら余計にムラムラするのが常であります。

ケースに所蔵されたグッズの多くもまた。
コアなファンの引き出しを開けたような気持ちになる。

節々に飾られてる写真はどれもギラギラしていて。
清志郎の生き様を垣間見れる。
見たことのある写真も当然多いけれど。
にしても、素晴らしい写真だと思えるのは、被写体のギラギラ感が
焼きついてるからなのかなと、素直に想う。

そして、衣装&ブーツ。
もはやこれだけでも・・・・・・と想ってしまうほど、圧巻のディティールとこだわりなのだと
そう想う。

衣装が陳腐だと、絢爛なステージでさえ地味になってしまう。
そしてこんな強引なカラーリングを、日常の衣服と同じように着れてしまう
あの感じこそ、ファストファッションと揶揄されてしまう現代において、
個性の塊として、流行を踏みにじり人生の流行の中に咲く洋服だと。
そう想った。

ブーツもとても丁寧な愛が咲いていた。

そしてその横には、ゼリーの。
タイマーズのヘルメット。
実物の興奮にその場から10分は離れず。
ステッカーを眺め続けて。

そして、画家としての清志郎は。
色の固定概念を取り払い。
筋肉の筋に至るまで。
概念に無い色を、その筋として薄く厚く。
そして、隆起させながら描いていた。

そこから浮き上がる色の交錯と。
また映し出された人の姿は、とても愛くるしく。
雑さや雑味の無い濃度の濃さを感じれる。

Tシャツの原画に至っても、言葉を持て余したり。
緩めたりすることなく刻んでいた。

映像ブースは、まるで難民キャンプのように
人で溢れ。
清志郎のいない世の中において。
清志郎のぬくもりを求める難民で溢れている。

沢山のグッズも売られている。
それもまた清志郎のぬくもりを求める人で溢れ。
皆様々な気持ちで、会場を後にしているはず。

この個展は、今後地方を回るようです。
沢山の難民が訪れることだと思います。

そして、何か満たされないやりきれなさを少しでも溶かして。
ボクらはまだまだ続く道を歩く。
RSサクセションを聞きながら。
清志郎を口ずさみながら。
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「ジャパンアヴァンギャルドーアングラ演劇傑作ポスター展」@渋谷パルコ [君にARTを!]

飲んで吞まれる正月でもなかったのは、12月の喧騒から。
なんとなく、年末にスパートをかけてしまったアルコールも。
年始には、忘れてしまう時間の消費に苦笑い。

年越しを無事に終えて。
挨拶回りのち、自分の時間。

我が家のぶっ壊れたダイニングテーブルの次世代を買うべく。
渋谷に行ったが、あんなとこにイカシタ家具などあるわけない。
ふらりとかみさんとセールを物色し、珍しくかみさんが買い物をしてたり。

ボクも色々目移りしながら。
スペイン坂に向かう途中大きな看板。

「ジャパンアヴァンギャルドーアングラ演劇傑作ポスター展」
やっべぇーなぁー。
かみさんに今すぐ行きたいと伝え見に行く。

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渋谷パルコパート1。
期間も6日間ほどしかない、瞬時の出会いでした。

ボクは非常にこの時期のポスターは、日本が誇る芸術作品だと想ってます。
今回、テレビでは「ゲージツ家」ととぼけたこと言ってるくまさんこと、
「篠原勝之」氏の作品に卒倒。

初めて見ました。
凄まじいです。
大体、状況劇場も知らなかったもんな。
本当に勉強不足。
でも、今年の出会い頭に逢えて、幸せ。

この頃の演劇って、パワーが違う。
訴えること、伝えることのパワーが、
個人の俳優の力じゃなくて、劇団のパワー。

やりてぇーことをやってやるという血走る感じ。
採算も無いだろうし、おおよそ魂削ってる感じ。
ポスターもすべてが色もデザインも規格外。

でもこれが演劇のポスターとなると、一気に加速する
気味の悪さから、怪しく光る鬼火のような妖艶。
ブルーの光がよく似合うゆらめき。

あれだけ一堂に見た記憶は無く。
寺山修司に関わる物。
横尾忠則に関わる物となtれば、何度か目にしていて。
それは、馴染みにもなるようなポスターもあるのだけれど。

それよりも、やはり。
今回は、宇野亜喜良や横尾忠則より、篠原勝之に軍配をあげたい。

アヴァンギャルドとは言うが、時代の中で反発し。
もはやPUNKにも似た、衝動の中で演劇という媒体を通し、
時代の是非を問うた素晴らしき文化の名残というか、遺産がポスターであり。

その勢いや淘汰されたものが、残骸ではなく。
象徴として旗印として、褪せることなく絢爛かつ濃密に残るこの作品こそ、
今の時代に必要なものではないかと少し想う。

不景気や国の施策、地方自治の対応を憂う前に、何を叫ぶ。
ボクのようなぬくぬくとした中で生きる者には分らない世界の声をどう叫ぶ。

この世の中で採算に合わないものは、切り捨てられ。
そこに残るもの、また切り離されたもの。

ホワイトカラーがブルーカラーの叫びを代弁したとしても、何も響かないだろう。
商業的なものになびくわけが無い。
貧しさを知らないものが、貧しさを謳えるわけがない。
国政にも想うべきどころであろう。
ならば叫ぶべき人間は、今のこの現状を不感症なこの国の人々に何を伝える。

あの頃の演劇には、その時代の葛藤や鬱憤をひっくり返すほどの。
エネルギーを持ち合わせた。

残念ながら、芸能人だらけの演劇に足を運ぶつもりはない。
アングラの劇団のポスターで。
かきむしるほどの衝動があるのなら、そこに足を向けたい。

藤原紀香の舞台を見てどうする?

感動したいんじゃない、ムラムラしたいんだ。
言葉に、そして突き刺す視線の先の薄暗い未来に。

そういう世界は無い。
世の中に溢れてるのは、おおよそこの不景気とは関係ない愛の歌ばかりだ。

野生が見えた。
そういう意味では、今やるべきことが見えた気がする。
ボクはボクのやりたいことを、少しずつやっていくつもり。
いいお手本に見えた。

忘れた頃にまた見たい。
音楽以外で奮い立つのは、やっぱり魂が篭った感じの血がにじんだ感じにも見える結晶。

この展覧会は終わったが、また少しもしないうちにどんどん見れるだろう。
寺山没後25年。
今だからこそ、見て感じる何かが見えるはず。

この展覧会に行けたことを今年の運命にしたい。

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蜷川実花展ー地上の花、天上の色ー@東京オペラシティーアートギャラリー [君にARTを!]

UNDER COVERで開催されてる「GRACE」の写真展へ。
10代から魅せられてるブランドなのだから、もう仕方ない。

いつの間にか、洋服屋という範疇を越えて。
時代の渦の中心で、回り回す側で。
そういう中での創作は手を抜いてるわけが無く。

新しい試みを見れる機会は、さほど無いので。
足を向ける。

ヤン・シュバンクマイエルにも近しい表現方法は、
今やUNDER COVERというブランドの核になっているようにも思う。
地方で行われるGRACEの聖誕祭を、一度覗いてみたい気持ちにもなる。

いずれにせよ、あの世界は1つ芸術表現に昇華されていて、
ミーハー心で、安易に踏み込めない感じの空気がある。

UNDER COVERの洋服の表現を超える新しい試みは、
もはや「個展」レベルの奥ゆかしさがあると思ったりもした。

という訳で。
GRACEの写真集を購入してみた。

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内容については、青山のUNDER COVERでも見たが。
非常に見事だったし。
想像しがたい世界だからこそ、人は興味を惹きつけられるものだと。
単純にそう思う。

誰もが考え付くようなものならば、人はそこに魅せられたりはしないという単純な思考。

GRACEを見てから。
渋谷原宿新宿と行脚し。
帰りにkurohaniさんのBLOGで知ったオペラシティに蜷川実花展に足を運ぶ。

蜷川実花といえば、あのドギツイ発色。
発光に近いかもしれない。

同じ花を撮る写真家といえば、アラーキーだが。
アラーキーの中に存在するエロスよりは、
色の強さをそのままに。
焼けるほどの色を、写真にしているイメージ。
妖艶さは無く。
ましてや、そこにエロスなどない。

嘘か本当か、試してるような色の攻防であり。
パレットの混ざらない絵の具に似た感じもある。

会場でもあちこちで聞こえたが、「可愛い」というイメージには
ボクは似ても似つかない。

そこに存在する発色は、一般生活には無い色であり。
ある種タブーな色遣いにも思える。
アバンギャルドな発色は、横尾氏のポスターにも通ずる部分はあると思う。

しかし、横尾氏のポスターに感じるのは、アバンギャルドなインパクトであり、
キュートに似た可愛さではなく、色を用いた「強い主張」に思う。

そして、蜷川実花展である。

蜷川実花=花のイメージであり。
花の持つ美しさの豊かさの多面性を写すよりは、花そのものを写す。

ピントのズレの中にも、眩いばかりの発色があり。
近くで見る絵画や写真というよりも遠く引いて、
そのものの発光を眺める方法が、彼女の写真を見る正しい見方だと思う。

色を楽しむわけで、その顕著が金魚だった。
暗くした部屋で、動く金魚と気泡に包まれた金魚の写真は、
目玉という「生」の感じやすさを、ふんだんに散りばめながら、
花とは違った感覚をくれる。

そして、造花。
本来花を美しく捉える人間は、花の美しさを知っているわけで。
花の美しさを知っている。

故に、造花であってもその本質的な捉え方が変わらないのかもしれない。
錯覚に近い。
実際は、造花であっても生花にも似た感覚に陥るのは、
この個展の流れの良さと、写真の配置の絶妙だと思う。

この個展は、あの造花に通ずる「フェイクをリアルに見せる旅なのか?」と勝手に想像したりした。

そして、この展覧会に入る前に。
最後のコーナーは見れないかもしれませんと言われたんですが。
そして、18時からだと半額になるという甘い言葉とともに。

最後が、要は有名人写真祭り。
蜷川実花のアートワーク「人」を撮ったものなんですが。
そこに長蛇・・・・・。

その前の部屋も、有名人の写真だったんですが、混んでたんです。
他の部屋は、本当にゆっくりのんびり見れたのに。

壁一面のポートレイトでしたが、見ませんでした。
もうバカバカしくて。
あんなに花の凄まじい発色と、金魚のゆらめきの赤を見た後に、
ポートレイトに列だなんて・・・・。

正直、なんで長蛇なの?!みたいに思い。
「他のは?!と」少しムカッと来てしまって、

「お並びください」ってクソ狭い通路を通って、並べって?
おいおい、有名人の写真が見たければ、
蜷川実花の写真集でも買ってみればいいじゃん、家で。

昔のHIROMIXみたいな感覚になってしまって。
凄まじい観点で凄く綺麗な写真撮ってるのに。
なんで皆ポートレイトなの?!って思ってしまいました。

女性が多かったが。
女性から見ると彼女の写真というのは、非常にセクシーでもあるようで、
アバンギャルドなんだと思うのだけれど。

男性から女性を見つめたときの感じが無いというか、
エロスを感じない分、少し少女マンガの世界を覗いてるような気分にもなりました。

結局最後ポートレイトの長蛇を見て、世間一般での蜷川実花の写真というのは、
誰もが一度は見たことがある有名人の写真から魅せられた憧れに近い美しさなのでしょうか?

有名人を撮ったものでの評価より単純に。
ボクは彼女そのものの、あの発色の追求が今後どこまで進化するのかが、
楽しみだったりするけど、ポートレイトで並ぶのはゴメンです。

その後、2階の「ましもゆき」展で圧巻。
ボクは、少しがっかりした気持ちで2階に上がったから。
もう、その興奮たるや。

「孔雀」と「蛾」があれだけ、精巧に巧妙に羽ばたく感じが素晴らしい。
羽音すら聞こえそうな。

現代的でありながら、古風さを残し。
アニメなようでありながら、アニメのような空気を切り捨てる。
大きな作品も小さな作品も、上品で勢いがある。
呼吸が止まりそうな絵でした。

少し救われた気持ちで、オペラシティを後にしました。
にしても、あの蛾が忘れられない。

蛾で気持ちが縮んだのは、速水御舟 『炎舞』以来。
あそこまでの妖艶と儚さは無いが。
蛾というのは、蝶と違って。
何か愛くるしさが無い。

蜷川が蝶のようであった分、ましもの作品が蛾であったこと。
またモノクロだったことで、意図的なのか偶然なのか表裏にも感じた。
関係のない作風と作品ではあるが、そう感じさせるぐらいましもの蛾は、艶美だった。
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NOWHERE [君にARTを!]

最近は、しばしば NEW YORKの話になります。
もはや音楽で人生が捻じ曲がるほどの衝撃は受けないとは思いますが。
それを礎にしても。
旅行や出会いというのは、なんらかの形で人生観の変化をもたらしてくれて。

そういうのは、速攻の即効ではなく。
ジワジワと感じるものだったりして。

出逢って。
それを垣間見て。
食べ物なんか、特にそうだけど。
知ってるあなたが作ったものなら。
金という対価はもちろん。
あなたがスキという理由で、ボクは買う。
という気持ち、あると思うのです。

音楽はフォーマットが存在して。
比較的安価で誰でもどこでも手に入る。
それはアーティストがどんな環境、境遇、時間、想いなどを詰め。
この作品をいかようにして、生み出したかを実感しにくいフォーマットというあり方。

だから現代で塩化ビニールにこだわるバンドは好き。

話は変わって。

現像でもない。
コピーでもない。
プリントでもない。

書いた人の顔や声。
その人の姿勢や気持ち。
まったく知らない人だったら、考えるでしょうが。

知ってる、逢えた人なら話は別です。

改めて、記事を読みました。
あの人の想いや時間、気持ちやその先。
断片でも知り得た上で。
心地よく、そして当たり前に。
我が家に「家族」として迎えいれたことを、妻とともに嬉しく思います。

赤の多い部屋に。
素直に純朴に溶け込み。
そこに昔から、存在することが決まってたかのように。

1時間1時間ごと。
陽が傾き、差込。
その度に表情が変わります。

そういう愛しさも感じながら。

迎え入れた喜びと、それを包んで来たダンボールの梱包まで。
そして、知り合えた喜びもかみながら。

これからの時間を一緒に過ごして生きたいと思うのです。

「絵」です。
でも欲しいと思った絵でした。

数年前に。
彼女と結婚しようと想ったのは。
恵比寿リキッドルームでロザリオスを観た夜でした。

あの日のステージは、それそれは猛烈で。
稚拙な言葉で、このBLOGのどっかにあると想う(笑)

寒かった夜。
彼女とは音楽の趣味はもちろん。
多くの趣味は被らない。
ボクは結構ライブに行くけど、彼女とは基本的には一緒に行かない。

だけど、彼女は明治通りに出て。
「カッコよかった、本当に」と開口一番。

16歳から好きだったタイコ叩き。
その新しい形の久しいライブ。
「LOSALIOS」を観て。
「カッコいい」という価値観をくれて。
素直に嬉しく想ったこと、覚えています。
FXに跨って。
その日の夜にある場所へ。

価値観というモノが、モノ言う仲、夫婦。

この絵を欲しいと言った時も。
この絵が来た時も。
純粋な価値観の融和とともに。
10年付き合ってますが、改めて彼女の懐の深さを想ったり。


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そしてこれから互いの居住空間に瞬く「NOWHERE」を眺めながら。

追記:
これを書くにあたって。
NYの記事読み返したり。
今日、「9・11」
慎んで冥福をお祈りいたします。
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横尾忠則 「冒険王」 @世田谷美術館 [君にARTを!]

突き抜ける青空。
コニーアイランドで買ったピンクのTシャツを着て。

スクーター上々。
6月14日土曜日昼下がり。
環八を久しぶりに通る。
行く先は世田谷美術館。

横尾忠則「冒険王」」を覗きに。
少し足を伸ばすには丁度いい。
少し疲れてたから余計に。

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いつか、そう7年前ぐらいに訪れたことのある場所。
砧公園。
あの立派な桜を眺めることもなく。
いそいそと美術館に入る。
盛況。

昔の絵コンテに関しては、横尾以外の何者でもない。
横尾でしかない。
もう高倉健に関しては芸術の域を超えてる。

正直に言ってしまえば。
久しぶりに芸術家の作品展を見た面持ち。

1人で全てが完結する作品はその人の血であり、地。
誰かの手助けを得ずに、自分で1から10まで進む作品が好き。

横尾忠則はいつの間にか、デザイナーを引退していた。
受注の仕事を請けないというのは、非常に革新的で。
受注された物を横尾色に染めて、それが横尾忠則の仕事の縁からの通説。

あの色使いにあのコンテ。
枠を与えられながらも、当たり前に逸脱し当たり前に、染めながら。
出来上がったものは、横尾忠則が全面に出てしまい、肝心を食う。
それぐらい、見たもの全てに強烈な印象を残すのが横尾忠則。

事実、ボクも20歳ぐらいに横尾忠則の作品をみてからというもの。
あのアバンギャルドな色使いに心病んでる一人でもある。

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今回の横尾展。
特筆すべきは、絵画が多いということ。

引退をしてからは、自由に創作活動を行う主眼。
コラージュも絵画も世界を表現する手段に過ぎず。
全ての奇異な設計図は横尾自身の頭の中にあり。
その設計図を形にする作業が、様々な手法であるだけのこと。

正直に言えば、あのY字路に関しては震えた。
Y字路って何気ないけどすごい。
行き様によっては、まったく違う場所に行くし。
また同じ道に交わることだってある。

そういう分岐はどちらかというとT字路よりY字路がいい。

だって、少なくても直線ならば、左右確認してどっちを進むか景色を選べる。

Tなら一歩進んでも振り返り、景色を引き返せるが。
Y字ならもはや比較のしようがない。
一歩進んだら、もう片方の景色は見えないのだから。

当たり前な道程でも。
非常に考えさせられた。

意図した場所とは違うかもしれないが。
その意図を勝手に読んでは。
勝手に感動したりした。

Y字路以外でも、少年のシリーズは。
往年のコラージュにも似た構図の中で、既存に無い物を筆で創造する世界。

既存の物を既成せず。
新しい形を生み出す魔法。
魔術師にも近い横尾忠則の仕事。

圧巻は2007年のY字路作品の3点。
Y字路の良いところも、少年のシリーズのいいところも含めた秀稚児。
しばし、この3枚から動けなくなってしまった。

絵コンテの構図から生み出される、作品はまさに時代の鏡だったし。
横尾忠則の仕事は、昭和の時代の部分だったと言えると思う。

古き良きの一番良い欠片が横尾忠則の作品に散らばり、舞っている。
帰りには、翌日の最終日を待たずして。
図録は売り切れとなっていた。

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土曜日の昼下がり。
列を成してる人々には、この作品の群れをどう映ったのだろう。
ボクは随分と刺激を貰った気がします。
昭和の匂いの充満。満喫。
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井上雄彦「最後のマンガ展」@上野の森美術館 [君にARTを!]

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井上雄彦 「最後のマンガ展」

この名前は、ボクら世代には人間国宝に匹敵する名前です。
彼の最後のマンガ展の存在は知ってたし、まぁ暇があればと思ってました。

そんな中、BRUTUSの特集は一気に門戸を狭くしたようで。
甘く見ていたこの企画展は。
チケット「SOLD OUT」という。
美術館を眺めてきたボクの歴史の中では考えられない現実。
美術館のチケットがSOLD OUTです。
コンサートです。もはや。
ただ、それだけの価値は十分にあると実感出来ました。

ボクもこの事実を目の当たりにし、数少ない日時。
選ぶことも出来ないような状況でチケットを購入。

上野の森美術館に指定の時間に来ても、列は長く。
待つ時間もまたR&Rコンサートに来た気分にも似てる。
早く会場で、その姿を見たいと言う希望だけが支配する。

井上雄彦を感じるのは、コミック。
それも1000円に満たない紙面の中の躍動だけ。
それだけの出会いなのに、桜木花道の登場は多くの人間の人生を変えたし。
また世界を広げたわけです。
それは間違いなく。

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今回は、バガボンドが定点な訳ですが。

コミックというのは、凝視しても逼迫した状況を即座に次ページにつなぎ。
それをまた紡ぎ。
1つの物語として、連鎖していく手法。

それがこのマンガ展には、連鎖の方法に「足」を用いる。
自分ペースでマンガを読むように。
自分のペースで歩いてページを繋ぐ。
この展示会には、自分のペースでというようなことが書いてあったと思う。

ボクは休日の美術館が嫌いで。
皆律儀に並ぶ。
並んで、列を成し。
次の作品、次の作品と足を進める。

単純に。
大好きなブランドがある。大好きなデザイナーがいる。
その作品の全てが琴線に触れるわけが無いのであります。
そんなヤツがいたら、それはデザイナー自身だけ。

だからわざわざ全部を凝視していく必要はなく。
一瞬の焼付けでもう流れる物語の部分はたとえ、それが原画でも。
さほど感情と眼前を重ねる必要もなく、詮索も要らない。

美術館も展示会もそう。
同じ作り手でも、グッと来るか来ないかは一瞬で決まるんです。
一瞬で飲まれたら、もうダメ。
動けなくなるのです。

出来れば周りの会話を遮断して。
自分とこの作品の勇猛とで感情のすり合わせをしたいぐらいに。

そういう望まれた空間ってあんま無いんです。
ただこの入場制限と、言ってはいけないが「律儀に順序を守る方々」のおかげで。
ボクは、後半の作品は1人で堪能できる時間が多くて。
至高の時間でした。

いても3人ほどの空間で、いいなぁと心底思う井上作品と顔を合わせる時間。

コミックの面積では到底及ばない、墨攻。
墨って光るのです。
昔半紙に文字を置いたときも、墨汁って光ってたけど。
墨って輝いてて。
これが無限の濃淡のキャラットのようで。
その輝度を実感できるのは、原画でしかないし。

それでいて、自分の体の何倍もあるような大きな作品と対峙したら。
もう呼吸が詰まる。
それがコミックで躍動していた男達なわけだから。
その猛攻応酬は否が応にも認知の範囲は裕に超えるわけで。

個人的には、胤栄の大きな画。
コミックならば自分の30cm先の世界で完結してるものが。
数メートル離れないと、その雄大に気付かない脆弱。
灯台下暗しに近い感覚。

トーンが貼ってあること。
マンガ故、枠を超えたものには、ホワイトで塗られてること。
墨にあっても下書きの線が存在せず。
迷いない筆の痕跡を十分に感じることが出来て。
数多の線が交錯して、形を生んでいるにも関わらず。
線1本の無駄も感じ得ないこと。
墨の世界に入ってしまうと、ペンなどの線では何か物足りない気持ちになってしまうこと。
満たされた世界に入った以上、その境目を妙に意識してしまう。

その中に感じるものが、墨の中にはしっくり入っていくこと。
後半になればなるほど、足は止まる。
キャラクター展な訳ではなく。
散りばめられた何か、ぬくいものを自分で拾い集める感じにも似てる。
それが後半に花咲くわけであり。
あの空間は圧巻。

髪型も着物も風体でさえも微妙に変化させながらも、
全体の空気は微塵も変わらず、むしろ時間が止まる。
あの時間の止まり方は、言葉を抜いてしまう。

壁に寄りかかり。
あの大きな絵を前に深呼吸をすると。
急に目の前が開ける錯覚。
そしてラストに流れる雄大。

言ってしまえばただのマンガなのです。
しかしながら。
マンガでありながら、マンガ以上の高揚と。
ただマンガを見ていては感じえない気持ちの揺れだとか。
作画が上手く、墨を操るというだけではない何かが通過するのです。

あまり詳しく書かなかったのは、まだ会期中だから。
前売り券の争奪戦は終わりました。
あと数日。

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本当に後悔を残さないと強く思う人は、足を向けるべきです。

そうボクらは、スラムダンク世代なのだから。

そして井上雄彦の存在を、無視できない人生なのだから。
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橋村至星 個展「NEAR FUTURE」 @九美洞ギャラリー [君にARTを!]

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六本木の片隅は、忘れ去られた昭和のすえた匂いがして。
黒川紀章の忘れ形見から眩く反射する輝きをうっとおしく感じながら。
トンネルを避ける。

風邪気味というよりは、風邪なんだけど誤魔化して。
上手く誤魔化すというよりは、無理して隠して塗りつぶして。
二日酔いと酒の高揚と風邪の悪寒を混ぜて。
結局二日酔いな気分で、やり過ごす先週末。

あまりの喧騒で。
風邪など引いて会社を早退するわけにもいかない日々と。
少し高くしたプライドのため。
随分、強引なやり口で自分の弱い部分にフタをした。

やれば出来るんじゃね?自分と得意気に思うものの。
毎日、午後4時になると帰りたいのと、頭痛が襲いくる。
嫌になるくらいの負の衝動だが。
書類作りに精を出す。

話は脱線した。
金曜は送別会。
明らかに風邪で発熱だが。
体温計で、体温を知った瞬間にボクは気持ちが折れるので計らない。
明らかに具合は悪いが、飲み倒した。

酩酊で帰宅。

翌日の朝には、1週間の時間の隙間はここしかないということで、
先に述べた六本木に通ずる。

以前にも横浜で絵を見に行ったが
このBLOGでもお世話になってるkurohaniさんの個展に足を運ぶ。

いつもながら、妻とは時間が合わない。
こういう類は決まって1人。

抜ける空に気持ちも抜けるが。
頭痛はその片鱗を潜める。

階段下って路地裏にて。
待っていた赤いテトラポット。

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吸い込まれた入り口に、下絵を見た記憶の絵画。

今回DMもわざわざ頂き感謝です。
この方の絵は、イラストっぽくもありながら。
絵の中にふとした「Q&A」を潜ませてることを感じたりします。

ただ「ふぅーん」と眺める絵ではないし、
フェルメールのような「アオ」の妖艶美しさに惹かれる訳でもない。

言葉には形容できないメッセージをこめて。
その中に通ずる皮肉や痛切や。
忘れてはいけないことを、虫ピンで刺し、貫き。
留め置くような強さを感じる。

ただ、絵としての存在以上に。
その言葉をふわり、するり。
そしてシュバっと振り下ろされる感じ。
わからないよな(笑)
あの油断してると一瞬での分断。

この一瞬って=理解。
理解した瞬間。
一気に分断。
ハエたたきみたいな、壮快。
ただ潰されたのは自分。

流線型にも感情があって歌った男がいるけど。
メタリックな流線型や直線が筆という媒体を通すと。
非常に質感豊かで表情があり。
それが、本来直線であるはずのものが、定規やコンピューターとは違って。
流線型に感情が生まれて。

ボクの頭ではこの絵を見た瞬間に。
あぁ流線型には感情があるんだって。
そういう感想。

だから、絵というのは生きてて。
そこに隠れた曲線を補修して輝かせる白の存在は、DMやパソコンでは伝わらなくて。

呼吸した感情の吐息を聞いて。
ボクが画廊を出ると。

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そこにはビルの隙間に青いそらが落ちてて。
そこを写真に収めたら。
笑顔になったから。
ボクは階段を一段抜かしで進んだ。
のち、誰かの言葉に足を止め、

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ボクは「メタリック」を口ずさんで駅へと歩いた。
やけに太陽がご機嫌で、少し春以上。

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