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「ロトチェンコ 彗星のごとく、ロシア・アヴァンギャルドの寵児」@ggg [君にARTを!]

少し前に、娘と2人で見たロトチェンコを銀座で再び。

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初期ではなく、ポスターなど産業広告中心だったが、変わらず良かった。
この良いというのがざっくりとしたニュアンスではあるが、
作風にしろ何もかも枠が決まった中。

制限も思想も自由でない中でのロトチェンコの、国益に一切反さない中での作品の数々は、
太平洋戦争時代の原弘の「FRONT」同様に、
現代において「決して正しい時代」とは言えない中でも、
作り上げた美術という分野では、溜息がでてしまうぐらい美しいと感じてしまう。

でもそれは悪が美しいわけではなく、その時代にしては美しいというのではない。

完全に時代を超えて共感したり感嘆したりする部分があるということ。

(先日、ジャクソンポロック展と同時に、原弘展もやっていたが、
 FRONTもさることながら、作品の数々は完全に時代を超越し、
 そして古さも一周、一蹴し完全にアバンギャルドな作品の羅列に呼吸を忘れた。
 原弘の作品は、テーマというか題材が決められている。
 芸術というよりはデザインではあるが、それにしてもという印象。
 初めてあれだけの作品を見たが、ポロックを見た後だったから余計に、
 葛藤感が感じれなかった。苦しさは当然あるのだろうけど、あまりに淡々とした部分が逆に怖い。
 それでいて同じように見えないのがさらに怖い。)

ロトチェンコの作品は、反復だったり対称だったりする部分が、
その圧倒的な存在感を増幅させる。
決して色合いがきれいなわけではないのは、結局商業的、産業的であったり
多色刷りという時代ではなかったからなのか?と勝手に想う部分ではあるが、
その色合いは決して、普通の生活の中で思いつく色ではない。

直線をつなぎ合わせるような装置的な作品でありながら、
そこに温もりを感じさせるというか、硬質な感じではないのが、
本当に不思議な部分。

前回もポートレイトも見たけれど、今回も重複した部分ではあったが、
それもやっぱりデザインで昇華できなかったというか、別物としてみると面白い。

一貫性を感じるのも、お国柄も多分にあるとは想うが、
いつみても斬新さを感じる。

ソビエトと想うと余計にその偉大さを実感する。
ロシア語も普段目にしない分、そのデザインさが目新しく想うのは間違いではないと想う。

のんびり見るほど時間が無く、図録を買って少し誤魔化したが、
ロトチェンコの響きは自分には本当によく響く。

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