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祖母逝去 [INFOMATION]

こんなことをBLOGに書くべきではないのだろうけど。
彼女の人生の中にまたボクの人生も混じり。

そしてまた互いの今がある。

3月11日、東日本大震災後、福島第一原発に端を発し、
混乱が続く福島県浜通り。

ボクの母はここで生まれ、そしてボクもいわきで生まれている。

幼き頃から、双葉郡広野町に里帰りに行くことが多かったが、
祖母の記憶には、いい記憶がない。

年がら年中、怒られていたし。
祖母が優しく言葉をくれた記憶もさほどない。

些細なことでいうと、敷居を踏んだだけで叩かれたことや。
夜テレビを見ていたら、五月蝿いと怒鳴られたことや、散々な記憶ばかりで、
足は自然と遠のいた。

20歳の夏。
青森県黒石市から当時祖母が1人で住んでいた広野の家に。
年の近い従兄弟が遊びに来てるというので、常磐線を上がり、
広野へ行ったが、そこでも散々だった(笑)

歳の近い従兄弟は、とっても寵愛されていて。
まぁ孫の中でも、祖母にはランクがあったのでしょう(笑
ボクは最下位ランクでね。

ボクが昔の話をしたら、従兄弟が
「そんなことはない!いいおばぁちゃんだよ!!」って言ったもんだから、
笑ってしまった数時間後。

1人暮らしでカップラーメンばかりだろうからと。
従兄弟と従兄弟の彼女(後に奥様になる方)とボクで料理を作って、
祖母をもてなそうとして、時間かけて料理作って。

寄り合いから戻ってきた祖母が一言。
「要らない」

ボクは、失笑でしたが、従兄弟はショックだったようです。
挙句、ボクと従兄弟の彼女には目もくれず。
従兄弟だけに、おはぎを薦める始末に。

結局、その食事も祖母は一口も食べず。
ボクらで食べて終了。

久し振りに夜少し話しをしていたら、「五月蝿い」と怒鳴る始末。
聞こえないでしょうよ、静かに話してるのに。

まぁ、そういう方でした。
20歳に逢ってから、ボクは一度も祖母には会っていないし。
認知症が進んだという話は聞いていたけど、
昨日急変で逝去されたとのこと。

広野には行きたいけれど。
祖父母には会いたくないというか、他人に感じてしまっていたのが最近でした。

祖父が亡くなったのも、NEW YORKから帰国した直後。
祖母が亡くなったのも、HAWAIIから帰国した直後。
海外に行くと、何かしらがある印象になってしまいました。

しかしながら、ボクの祖母として。
冥福を祈る気持ちは変わりありません。

祖母がなくなったことで、ボクの両祖父母はこの世からいなくなってしまいました。

そういう年齢に自分がなったのだと、来週には34になる自分の年齢も今更実感した次第です。

少し落ち着いたら、広野に行こうと想っています。
ボクが小さい頃見た景色は津波でなくなってしまったと聞いています。

そういう時間を作ることで、祖父母に手を合わす時間であればと。
そう想うのです。



5:07あたりの右側が祖父母の家です。
ボクの見たかった海岸の景色は、この動画からは見えません。

津波被害の動画もありましたが、記憶を辿れません。
本家は海岸沿いで立派な家屋は、津波で全部流されてしまいました。


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