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蓮菓子木型 [INFOMATION]

幼い頃。
埼玉の川口から。
遠く父親の実家、青森県黒石市に遊びに。

祖父宅は菓子屋。
祖父の死以降、叔父が二代目。

叔父は朝早くから、工場(こうば)で。
木を摺り合わせる音を作りながら。

盆のお供えのお菓子を作っていた。
黄色の砂糖だったのか。
おしべの部分に少し押し込んで。
型に砂糖を詰め込んで。

摺って。
見事な蓮菓子を作っていた。

その木型が魔法のように見えて。
幼き時分には、感動したものだ。

和菓子も洋菓子も作ってた叔父さんは、
丁寧な仕事だった。

軒先から座って、黒石ねぷたを眺めていると。
叔母が、細いキンキンに冷えたコーラの缶を差し出してくれた。
店のショーケースのお菓子は、なんでもくれた。

ダメと言われたことはなかった。

少しやられた丸イスが、妙に懐かしい。

叔母は、よくねぷたを引いて、乾いた喉を携え。
飛び込んで水分を買う人に、商売っ気なしに、振舞うことがあった。
なぜかそういうことは覚えている。

あの頃の叔父の。
ぐみの木の家はない。

ねぷたの運行の問題で、区画整理になり。
家を立ち退いたと聞いている。

親族皆、興味がないようだったが、
ボクはその魔法の木型が欲しかった。

少々葬祭モノでもいいからと想っていた。
あの頃の思い出が、あの木型に詰まってる気がしたからだ。

今回、叔父に思い切ってその話をしたら。
叔父が菓子木型を1つ。
嬉しそうに譲ってくれた。

PA0_0539.JPG

それも見事なのを。

それを親父と滞在にお世話になった叔父(親父の弟)に見せて、
話したら、大層驚いていた。

親父に至っては、自分も欲しい木型があるんだがと、
笑って話していた。

裏には大正の文字があり、
親父も叔父も、幼き時分、父親が使っていた記憶があるそうで。

なんとも言えない気持ちになった。

金には代え難いモノと言うものは、
やっぱり月日を重ね、記憶に焼きつくぐらいの物かなと、
そう想った。

大叔父が亡くなることがあれば、工場(こうば)の優れた
木型はすべて廃棄されてしまう可能性もある。
べらぼうに金になって財産になるような品物ではないから。

置く場所はなくても、次男の家でも。
これぐらいは、自分でも守れるものじゃないかと。
普段、家守のことなんて考えもしない自分が少し考えたりもした。

津軽には黒石には、こういう物があったことで。
展示会の際には、一緒に並べておこうと想う。
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コメント 2

phonic

素晴しい!
by phonic (2010-08-21 05:21) 

ルースターズ

>phonic氏
正直褒めてもらって凄く嬉しい。
家宝ですからね(笑
by ルースターズ (2010-09-09 10:24) 

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